ルールを守ることと縛られることは違う ~より能動的に奏でるために~

ルールや規則を守ることは大切だし、なぜその決まりごとがあるのか、その意味を考えて行動することは、集団生活を送る上でとても大事なことだと思います。
ただ、意味も示さずに強制させること、慣習だからという理由だけでやっていることはきちんと見直すことも必要です。もっと効率的だったり、理に適っていることはたくさんあるはずだからです。
例えば、「イスの前3分の1に座り、背筋をピンとして座って吹く」という暗黙のルールが吹奏楽部の中には結構まだ残っているような気がします。
確かにそのように座って吹けるようになった人がいるのかもしれません。でも、そう座らなければいけないかというと、それはかえって楽器を吹きづらくしてしまっていることもあり得ます。特に「背筋をピンと」は腹筋も背筋も座るためにかなり使われてしまい、呼吸をしづらくさせてしまう要因になります。
このように慣習とされていることでも、意味を見直してみることでより楽に吹きやすくすることができるようになることはいくらでもあるような気がします。
また、ルールが「○○してください」という肯定形である場合と、「○○してはいけない」という否定形である場合とでは、受けとる印象もだいぶ違うものです。
トップダウンで禁止してしまうことは簡単なことかもしれませんが、それよりも「こうしていこう」という共通理解をつくっていく方が建設的だと思います。
例えば、SNSを禁止している学校も多いことかと思います。
でも、ただ禁止と言っただけでは納得がいかない生徒も多いのではないでしょうか。
それよりも、「SNSを使うときに、人のことも自分のことも大切に守れるようにしましょう」と言った方が、使い方を考えて、本来禁止にしようとしている意味、例えば「人を傷つけない」「自分が危険な目に合わない」「時間を無駄にしない」などということを納得して伝えることができるかと思います。
極端な例かもしれませんが、このようになぜそのルールがあるかについて一人ひとりに考えさせることはとても大切なことだと思います。そうでなければ、子どもたちは窮屈な思いをしたまま、納得もできずに縛られてしまうからです。
音楽にもルールがあります。
だからこそみんなで合わせられるという面もあるわけですが、ただルールを守ることだけに執着していたら、身体も心も固まってしまい、その音楽が生き生きとしたものになることはないような気がします。
一人ひとりがルールを守りながら、思いきりやりたいことをやってみること。
そうすれば、音楽も生きてくるように思います。
「吹奏楽部の指導は生活指導」と言った先生がいます。
確かにそういう面が大きいのも否めないし、そこが自分の苦手なところであり、弱点なのかもしれません。
でも教育の場での音楽であったとしても、まず先に「音楽を共につくること」を掲げていきたいものです。その中で一人ひとりが成長していけるように促したいと思います。
そのためには、授業で勝負、合奏で勝負、そのために教員が日々学び続けることが、本当に大切なことです。
授業や合奏が楽しくて、一人ひとりの居場所があることで、互いの信頼関係が生まれて、楽しく音楽をつくりあげていく気持ちになれるような気がします。
本人が本当にやりたい、こうなりたいという望みをもって真剣に取り組まない限り、変わることはできません。他人がそれを強制することはできません。
でも、一人ひとりを本気にさせるきっかけをつくれる指導者になりたいと思います。
頑張ります。

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