「試験」は何のためにあるのか?

ちょうど今は3学期制の学校であれば2学期の中間試験、2学期制の学校であれば前期期末試験の時期でしょうか。かく言う私も、昨日は台風に備えながら自宅でテストの作問をしておりました。

「試験」「テスト」というと少し憂鬱な気分になる人も多いかと思います。高校の先輩で「俺はテスト楽しくてしょうがない」という方もいらっしゃいましたが、私は試験前になると緊張と不安で熱が出てしまうくらいに、「試験」「テスト」という存在が苦手でした。そんな私が今は試験を作成し、採点する側にいるのですから、皮肉なものです。

生徒にもよく「テスト嫌だ~!!」「テストなんて何であるの~??」と言われることがあります。そういった声に、どう答えればいいのか、今日はそんなことをつぶやいていきたいと思います。

 

そもそも「試験」とは何なのか?

「試験」というとどのようなものを思い浮かべるでしょうか? 多くの人が経験しているであろう代表的なものをあげてみると、

  • 学校の授業内容を理解しているかを確認するもの(小テスト、単元テスト、定期考査、卒業試験など)
  • 学校に入学するためのもの(入学試験)
  • ある組織に就業するためのもの(就職試験、公務員試験、教員採用試験など)
  • 特定の能力を身につけていることを証明するもの(資格試験、検定試験、認定試験など)

等があると思います。この他にも環境試験や物性試験など、環境や物に対して一定の基準に到達しているかを測定するときにも「試験」という言葉が使われることがあるかと思います。

ではそもそも「試験」とはどのような意味を持つ言葉なのでしょうか。ここでは「試験」「テスト」に類する言葉を日本語と英語で調べてみました。

【日本語】

  • 試験
    ①物事の性質・能力などを知るために、ためし調べてみること。テスト。
    ②人の性質・能力や学習の成果などを種々の問題に対する解答を通して調べること。
  • 考査
    ① (能力や性格などを)調べて判断すること。
    ② 学校で生徒の学習到達度を調べるために行われる試験。
  • テスト
    ①物事の良否・能力などを調べるために試すこと。試験すること。検査。審査。
    ②特に、学力を知るための試験。

【英語】

  • examination
    ①試験(週 1 回ぐらいの割で課せられる小テストは test,quiz)
    ②調査(すること)、検査、審査
    ③(学説・問題などの)考察、吟味
    ④(医師の行なう)検査、診察
  • test
    ①(能力などをためす)試験、検査
    ②(ものの)検査、実験、ためすもの、試金石、試験の手段、試験、分析、鑑識
  • quiz
    ①(ラジオ・テレビの)クイズ
    ②(口頭または筆記による)簡単な試験、小テスト

上の言葉の意味を一つひとつ見てみると、共通しているのは「能力などを知るために、試して調べてみること」だということができそうです。

高校時代、数学の先生が、「小テストっていうとみんな構えちゃうから、毎回みんながどれくらい分かっているかを見るために”Math Quiz”をするからね~」と言って、その授業で扱った内容を理解できているか確認できる課題を出してくれていたことを思い出しました。

当時はQuizでも先生に提出しなければいけないものはプレッシャーを感じていましたが、教員になってみて、「授業でのインプット内容を、実際にアウトプットすることで自分自身の理解度を確認する」というしくみは、自分から勉強しようという意欲につながることもありますし、必ずインプットとアウトプットはセットで考えた方が理解度も高まるので、先生なりに生徒が嫌がらないように工夫して”Quiz”としていたのだろうなと思います。

最近、定期テストを廃止した公立中学校の話が話題になっていますが、テストそのものを全て廃止したわけではありません。単元が終わることにその内容の理解度がどれほどなのかを生徒自身が確認できるテストはあるわけで、「自分自身で学習成果を振り返る」という意味でテストは必要なものではあるのだと思います。

そして、自分の理解度を客観的に見直すことで、自分がすべきことが見えてきて、次の課題をみつけることができ、そのサイクルを繰り返していくことで、自分自身が理解していることが増えて、分かるようになる、できるようになることが増えるというプラスの循環をつくっていくというのが、本来のテストの役割のように思います。

 

人はなぜ「試験」を“嫌なもの”と認識するのか?

多くの人が「試験」というと眉をひそめるのはなぜでしょうか?

それは恐らく、上で書いたように、「試験」いうものが「自分が試されるもの」だと感じているからのように思います。特に学校で行う試験というものは、自分に「成績」という評価をつける教員に「試される」という印象が強いのではないでしょうか。

誰かの手によって、自分が評価され、格付けされるようなことは、自分から望んでいない限りはあまり気持ちの良いものではないように思います。

私も「大学入試では1点のボーダーに何百人もいるんだから、少しでも点が確実に取れるように」という指導をすることはありますが、こうしたことがエスカレートすると試験が「点取り合戦」になり、「平均点にいったかどうか」という周りとの比較大会になり、試験が「今の自分の達成度がどの程度かを調べる」ものではなく、「他人との優劣を決める」ものとなり、何となく憂鬱なものになってしまうのかもしれません。

そういう意味では、私たち教員が「テストは自分自身で学習成果を振り返るもの」と位置づけ、そのように思える学習サイクルを普段の学校での学習の中でつくっていくことが求められているように思います。

 

「試験」を行う上で大切にしたいこと

試験を”受ける”上で大切にしたいことというのは、ちまたにも沢山情報があると思います。それは試験を受ける人の方が多いからだと思います。しかし、試験を”実施する”上で大切にしたいことはあまり触れられることは多くないような気がします。

私の勤務校では、生徒に向けて「試験を受ける上で大切にして欲しいこと」という文書を発行しており、「なぜ不正行為をしてはいけないのか」ということについて触れられている部分があります。

そこには「正しく努力を積み重ねてきた人が、正しく評価される試験である必要があります。不正行為がないようにすることは、みなさん自身が努力してきたことを守ることにもなるのです」といったことが書かれています。

個々にも書かれているように、試験を実施する上では、実施する側の人間が「受験者の努力してきたことを守る」という意識がとても大切です。

近年問題になっている大学の不正入試の問題や、なかなか詳細がはっきりしない2020年度からの大学入試共通テストや英語外部検定試験の利用などがなぜ問題になるのかというのは、「受験生が努力してきたことがどのように評価されるかわからない」というところに尽きるのだと思います。

 

改めて「試験」というものの意味を考えてみる。

一昨日、台風の影響で「教員資格認定試験」の二次試験受験者を全員合格とし、最終試験に進ませるという判断がありました。苦渋の決断だったと思いますし、二次試験を実施しなくても、最終試験で同等の内容を問うのだと思いますが、中止ではなく延期、もしくは最終試験の在り方についても同時に知らせることは厳しかったのかとも感じました。

独立行政法人 教職員支援機構HPより

 

それは、「教員の質が…」という問題でなく、「受験者の努力を守る」という意味でのことです。知人で小学校教員資格認定試験で二種免許を取得し、理工学部を卒業して小学校の教員として働いている方がいらっしゃるのですが、この試験の合格率はとても低く、本当に大変だったという話を聞いたことがあります。(はっきり言って「教員の質」という点では、その後に採用試験もありますし、自分自身も教員になってから学んだことの方が多いので、SNSで炎上しているような心配はないように思います。)

それで大変な試験なのですから、受験者の方はこの日のために相当な準備をされ、覚悟を決めて勉強をされていたと思います。「二次試験にどうにか合格して、最終試験に進みたい」という思いでいたのではないでしょうか。

それを「二次試験は全員合格にするので、いいですよ」と言われてしまったら、「よし、ラッキー」という気持ちもどこかにあるかもしれませんが、「えっ、今までこのために頑張ってきたのは何だったのだろう…」と思うような気もするのです。努力してきたことが正当に評価される場をつくることも、実施側としては重要なことです。

今回は自然災害という避けられない状況でしたし、早めの判断が発表されたことは素晴らしかったとも思います。かつて東日本大震災の時には国公立大学の後期試験が中止になり、センター試験の得点のみで合否が決まったこともありました。何よりも人命、安全があってこそのものですから、今回の判断を非難するつもりはありませんが、改めて「試験」というものの在り方について自分自身が考えるきっかけとなりました。

 

試験を実施するからには、実施する側と受験者側に暗黙の信頼関係が成立している必要があります。入試や就職試験のように「選抜するための試験」であれば、受験生が努力した結果、必ずしも「合格」という結果に結びつくとは限りませんが、学校の定期試験や資格試験のように「受験生の到達度をはかる試験」であれば、受験生の努力の成果がそのまま正当に評価されるような試験でなくてはいけません。

つまりは、「これができるようになったら解ける」「これを理解していたら分かる」という明確な到達ポイントが示されており、それを達成していたら確実に点数につながり、正当な評価を受けられるという保証を、試験を実施する側が受験生に対してすることが必要なのです。

そのことを肝に銘じて、試験問題の作問や採点、監督業務に責任をもってあたろうと、改めて思いました。

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