部活の「伝統」を考える。

世の中は「平成」から「令和」の時代となり、改元に伴って、この連休中はテレビ番組では皇室の伝統や未来について特集が組まれることも多かったように思います。

私が顧問をしている部活も、ちょうど「令和」が始まった日に定期演奏会があり、高校3年生が引退し、高校2年生が中心の新体制がスタートしました。

そこで今日は、部活の「伝統」についてつぶやいてみたいと思います。

 

伝統とはどのようなものか?

辞書で調べてみると、

昔からうけ伝えて来た、有形・無形の風習・しきたり・傾向・様式。特に、その精神的な面

と説明されています。英語では”tradition”という単語が当てはまるでしょうか。

ここで注目したいのは、説明の最後に「特にその精神的な面」という記述があることです。

もちろん、実態が伴っているものもありますし、科学的に説明のつく慣習もたくさんあります。

しかし「伝統」という言葉は、精神的な面を強く押し出して用いられることも少なくありません。時として「今までやって来たことだから踏襲しなければいけないもの」「暗黙の了解で行われてきた慣習」という意味で使われ、「伝統」と言われるがままにやらなければ精神性が疑われるということもあるような気がします。

それが、「伝統」という言葉に拒否反応や違和感をおぼえる人たちを生み出しているようにも感じています。

 

「伝統」に縛られるとどうなるか?

では、「伝統」や「慣習」というものに縛られ過ぎると、どのようなことが起きるのでしょうか。ここでは部活で起こりうることを考えてみたいと思います。

・何のためにやる練習なのか意味が分からないまま、特定の練習法を淡々とこなす
・前の先生がやっていたからという理由で、顧問が部活のために自腹を切る
・以前のやり方と違うところがあると、OB・OGが「伝統を守れ!」と現役を叱る
・明らかに時代錯誤であったり、現在では科学的に根拠がないと証明されていることを、根性論だけで貫き通す

もちろん、上記のようにやり続けても、一定の成果を出せることはあると思います。しかし、このように「伝統」に縛られすぎてしまうあまり、

・改善のための工夫をしたり、試行錯誤をすることをやめてしまう
・誰かが身を削って献身的に尽くすことが美徳とされ、それができない場合、その人への攻撃が始まってしまう
・「伝統を守る」ことばかりに力を注ぎ、新しい考え方や方法を受け入れにくくなったり、自分たちらしさを活かした運営がしにくくなる
・できないことがあった場合、「努力が足りない」「気持ちが足りない」など、精神的な面だけに偏った指導が行われる

などの弊害が現れることも少なくありません。

日本という国に「伝統を重んじる」傾向が強いとも言えるかもしれませんが、学校という場所は、中でも「伝統を重んじる」「慣習を踏襲していく」傾向が強いところだと思います。だからこそ、「学校は時代遅れ」「教師は無知なくせに規則を押し付ける」などという批判の声も少なくないのでしょう。

次世代の子どもたちを育てていく学校という場だからこそ、伝統や慣習にこだわり過ぎず、目の前の子どもたちに必要なものを見定めて、いろいろなものを取り込んでいく柔軟性が、今求められています。

 

悪しき慣習は潔く捨て去れ!

とはいっても、伝統や慣習として長く残っているものは、何らかの意味があって残っているとも考えられます。もともと無駄なこと、何の意味もないものであったら、初めから淘汰されているはずだからです。

世界には、素晴らしい伝統工芸や伝統芸能などがたくさん存在します。日本であれば、漆器や陶磁器、彫り物、染め物、織物、和紙などもあれば、能や狂言、歌舞伎などもあります。それらは長い年月をかけて守られ、昔から現在に至るまで私たちの生活や心を豊かにし続けてくれたものですし、これからも守られていって欲しいと、多くの人が望むものでもあると思います。

しかし一方で、前述のような悪しき慣習も多々あるものです。

その習慣を始めたときには意味があると考えられていたものでも、今では本当に意味があるのか疑わしかったり、意味があったとしてもその意味を理解しないままこなすだけになったしまっていることも、部活では少なくないのではないでしょうか。

例えば、吹奏楽部で言えば”腹筋運動”と”ランニング”。

確かに小中学生はまだ体力的にも成長の過程にありますから、健康を維持できるだけの体力をつけていくことも求められるでしょう。1日授業で机に向かっていて凝り固まってしまった体をほぐすのにも効果があるかもしれません。しかし、その目的が「楽器を吹くため」だとしたら疑問符がつきます。

以前テレビ番組で、あるベテラン女優さんがデビューしたての頃、お腹に成人男性が乗っかるのを跳ね返すべく腹筋運動をしていたというVTRが紹介されたことがあります。その時、スタジオの誰もが「あんなの意味ないよ」とコメントしていたのですが、若い頃のその女優さんにとっては、歌を上手に歌えるようにするために必死にやっていたことですし、その頃はもしかしたらそういったトレーニングに効果があると考えられていたのかもしれません。

しかし、いわゆる”腹筋運動”でつけられる筋肉は腹直筋(いわゆるシックスパッド)であり、内蔵を守る働きはあれど、直接呼吸を有利にすると考えられている筋肉ではありません。むしろ、腹直筋を固めすぎてしまうあまり、横隔膜の動きが制限されて、呼吸がしづらくなるという考えもあります。

またランニングについても、「体力づくり」や「体の効率的な使い方」を学ぶには意味があると思いますが、速く走れたり、長距離を走れるようになったとしても、それだけで楽器が上達するわけではありません。

ましてや、「部活動におけるガイドライン」が発表されて部活動の時間も短縮されていっている中、こうした練習ばかりに時間をかけてしまうことは得策ではないと思います。

顧問の先生や、生徒たち自身がやる意味を理解できていなかったり、意味が無いと思っていることを、「伝統だから」「慣習だから」といってやり続けることは時間の無駄でしかありません。

今ある練習メニューなどを振り返り、必要性を感じないものについては捨て去る勇気や決断力も必要なのだと思います。

 

伝統は「守る」ものではなく、「受け継ぐ」もの

ここまで、「伝統をぶち壊せ」的な発言ばかりしてきましたが、私自身は伝統も大切だと思っています。やはり意味があって「伝統」になったものも多いと思いますし、それだけ受け継がれてきたものには、それなりの理由もあると思うからです。

以前もブログで取り上げた言葉ですが、歌舞伎の18代目 中村勘三郎さんが

型をしっかり覚えた後に、「型破り」になれる。
型が無いままやるのは、ただの型無し。

という言葉を残されています。まずは伝統としてやられてきた型を徹底的に身につけること。それなしに奔放なことをしていても、それは砂上の楼閣のようなものになって新たな伝統にはなれないというわけです。何百年も受け継がれてきている歌舞伎というものを背負ってきた方だからこその言葉だと思います。

部活でやっていることが、ここまでのものであるかは置いておいて、とりあえず一通り今の部活でやられていることを一生懸命やってみることも大事だと思います。その中で意味を見つけられたり、やはり無駄だと感じたりするのだと思います。

自分なりに工夫をしたり、試行錯誤をしてみたりしながら、今目の前にあることに対して全力で取り組んでみること。それなしに口だけで伝統と言われることを安易に否定するのでは、説得力はありません。

しかし同時に、伝統はただ守るものではないと思います。

歌舞伎も、伝統的な演目を忠実に演じているだけではなく、スーパー歌舞伎のように演出を工夫したものや、アニメ作品など現代の作品を演目に取り入れたりと、伝統的なものを大切にしながら、新しい挑戦を重ね、歌舞伎というものを次の世代に向けて育てているように思います。

このように、先人が行ってきたことで守っていきたい、真似していきたいということは引き継ぎつつ、改善していけるところは自分たちなりに改善を重ね、新しい伝統を作っていくことが、結果として「伝統を受け継ぐ」ということにつながっていくように思います。

部活動でも、先輩たちがやっていて良いと思ったことは素直に受け入れて、まずはやってみることです。「これはちょっと」と思うことがあったら、その代わりに何ができるのかを考えてみることです。その時大事なのは「自分たちはどんな部活にしていきたいか」という目的を忘れないことです。手法だけにこだわっていくと、そのものの意味が後輩たちに引き継がれず、どんなに有効的なものであっても、そのうちすたれてしまうことでしょう。目的がはっきりしているからこそ、その目的を達成するために何が必要だったかを後輩たちに引き継いでいくことができれば、その部活はどんどんブラッシュアップしていくことができるのだと思います。

終わりに

部活とは少し話がそれてしまいますが、私が通っているアレクサンダー・テクニークの学校Body Chanceの校長であるジェレミー先生は、「アレクサンダー・テクニーク」という言葉を使うことを嫌がり、「アレクサンダーの発見(Alexander’s discovery)」と呼んでます。

それは、19世紀末にF.M.アレクサンダーが発見したことが基本となりながらも、100年以上の時を重ねる中で、アレクサンダーがやっていたアレクサンダー・テクニークの伝統的なトレーニングから発展させ、自分のやりたいことに結びつけた形で学んでほしいという願いからだと私は解釈しています。

これもまた伝統を「受け継いで」いる一つの良い例のように思います。

自分自身もまだアレクサンダーの学びの旅を始めたばかりではありますが、伝統的なワークやアレクサンダー自身の著作なども学びながら、自分自身がそれをどうやって使っていこうとするのか、自分のものとして考えていけるようにこれからも学びを深めていけたらと思います。

そして部活でも、今年引退した高校3年生達が残してくれた良い伝統を、後輩たちが受け継ぎ、さらに自分たちのものとして消化して、改善を重ね、次世代に引き継いでいってもらえるように、また頑張っていきたいと思います。

 

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