学習と部活に求められる力の共通性とは?

高校3年生は私大入試がほぼ一段落し、ちょうど明日からが国公立前期入試という時期です。

私も高3化学の担当でしたので、今年も受験した生徒が模範解答を求めて持ってくる大学入試問題を解く機会が多くありました。センター試験や各大学の出題を見ていると、大学側が受験生にどのような力をつけて欲しいのかということが伝わってきます。そういう意味では、大学入試の過去問というのは、大学の募集要項のようなものだなと感じます。私が見ているのは化学の問題だけですが、2014年度入試から新課程入試と言われる現行課程が始まり、また2020年度の大学入試改革に向けて、少しずつではありますが、大学側の出題も変化してきているように感じます。

今日はこれからの子どもたちに求められる学力と、部活で養いたい力の共通性について、考えてみたいと思います。

 

変わる大学入試?

これまで標準レベルの私大入試では、若干難易度の高い問題であっても、「頻出問題を繰り返し練習していくことでパターン化して身に付けることで解答できるような問題」が多く出題されていました。しかし、ここ数年の問題を見てみると、それまで難関大で出題されていたような、「その場で文章を読み取って状況を把握し、学習してきた知識を組み合わせて解いていく問題」の割合が増えてきました。急に難化したとは思いませんが、思考の柔軟性がより必要になってきているという実感はあります

 

では、従来型の学習方法では全くダメなのでしょうか。

私はそうは思いません。やはり土台となるような基本的な知識や考え方を身に付けていくことは必要なことですし、それなしでは「知識を組み合わせて解く」ということは到底無理だからです。むしろ、基本的な知識や考え方を、ただテスト勉強だけのために無理やり丸暗記するような学習ではなく、じっくりその意味を考えて理解するような取り組みが必要だと考えています。

もちろんいろいろな考え方があると思いますし、これは授業をする教員側の課題であったりもするわけですが、目の前の結果に一喜一憂してしまうのではなく、長期的な視点に立って、どのような学力を身に付けていってほしいのか、教員と保護者の間でも共有していくことが大事だなと改めて思います。

 

ここで、テストの点数を例にして考えてみます。

これは極端な例だと思いますが、Aさんは、年間を通して常に80点以上をキープしており、平均点を1回も割ったことがありません。1回1回のテストだけを見たら「すごいね、頑張っているね」と声をかけるのが妥当でしょう。しかし、Aさんは1年間ずるずると成績を下降させていっています。原因はいくつか考えられるでしょう。

  • 頑張っているけれど、少しずつ難易度が上がってきて思うようについていけない
  • 良い点数をとれていたので、勉強を少しさぼってしまった
  • 勉強にあてられる時間が少なくなってきている
  • 何らかの原因で、勉強に集中することができなくなっている

これらのことは点数を見ただけではわかりませんし、その原因をAさんと一緒に考えながら、原因に応じた対策を考えていく必要があります。

 

一方で、Bさんは平均点に届いたのは3学期期末の1回だけですが、1年を通して成績を上昇させています。決して積極的に褒めるような点数ではないかもしれませんが、着実に結果を出しているという点では、大いに褒めることができると思います。またこの時、「なぜ伸びたのか」を分析することも大事です。「何となくやっていたらできた」というのでは、「何となくやっていたらできるなくなる」ことにもつながりかねません。

  • 勉強する時間が増えた
  • 学習する時間は変わらないが、方法を変えたり、集中できるようになった
  • 授業中、居眠りや内職をやめた
  • 何となく得意な単元だった

このように『成績が伸びた理由』というのも、他教科に活かしたりする上では重要なことだと思います。

 

Cさんは、年間を通して平均点に届くことはありませんでしたが、常に6割周辺をキープしています。「何で平均点にいかないの!」と叱りたくなるところではあるかもしれませんが、このように実力をキープし続けることも難しいことです。平均点というのは、偏差値でいうと50に相当する値ですから、そこを1つの目安として考えるのはありだと思います。しかし、母集団の人数が少なければ少ないほどぶれる値ですし、下図のように得点の分布によっても意味は大きく違ってきます(グラフの赤色部分が平均点を含む部分)。

図1は、平均点を含む部分と人数が一番多い層が一致している例です。このように正規分布している場合の平均点は、「いわゆる平均的な点数」と考えられ、平均点を基準としたデータの信頼性も高くなります。一方で図2は、二極化していて平均点を含む部分がちょうど溝の部分になっている例です。このような場合は、「やったか、やらないか」「得意か、苦手か」といった意識が顕著に表れていることも多く、平均点あたりであっても得意な子にとっては厳しい結果ですし、苦手な子にとっては非常に頑張った結果と受け取ることもできます。また、定期テストではほぼ受験者の顔ぶれは変わりませんが、模試などでは問題の難易度や母集団の顔ぶれも人数も変わることから、平均点との比較や偏差値を見ても、必ずしもそれだけで実力がはかれないこともあります。

 

このように『数字』というものは絶対的な指標のように見えて、どのように解釈するかで大きく意味が変わってくるものです。かなり強引な言い方かもしれませんが、数字は言いたいことによって、どのようなデータにでもなるような気がしますし、これが単に数字だけを見て一喜一憂してはいけないということの背景にあることだと思います。

点数は、1回1回のテストにおいて「何をどのようにどれだけ学習し、自分のものとして身に付けたか」をはかるには分かりやすい目安となりますし、その時に“平均点”というのはテストの難易度をはかる1つの基準にはなるかと思います。ただ、大切なのは1回1回の結果だけではなく、その結果を受けて、次にどのような対策をし、実際に行動できるかというところにあるかと思います。

 

これらのことを、つい大人は口を出したくなるものですし、必要なことは伝えていかなければいけないものだと思います。しかし、自分で分析する習慣をつけていかないと、「与えられること」に慣れてしまい、思考力が低下する原因にもつながります。また大人が結果を見て、「この点数は何?!勉強したの?だからもっとやれって言ったじゃない!」と先にまくし立ててしまうと、子どもは点数と大人の反応だけを気にするようになり、ただ「点数を上げたい(でも、どうすればいいかわからない)」で戸惑ってしまうこともあると感じています。

 

まず大切なことは、「今回の結果を自分はどう受け止めているのか」ということを子ども自身にしっかりと振り返らせることなのかなと思います。すぐに答えが出なくても、じっくり考えさせてみること。その上で、点数だけに限らず、取り組み方や内容の理解などに踏み込んで、自分の実力を上げて目標に近づけていくためには、次はどのようにしていけばいいのかを一緒に考えることかなと思います。

 

できないことをできるようにするためには、時間をかけて取り組む必要がありますし、ある程度の量をこなすことも必要です。そのためにも、物理的にどうしても時間を確保しなければいけないところもあります。しかし、時間をかけたから、量をこなしたからといって必ずしもすぐに結果に結びつくわけでもありません。下の図は有名な「上達曲線」と呼ばれるものです。

図中には「上達度」「練習量」という書き方がされていますが、学習においても同じことが言えます。なかなか伸びなくても、じっくり諦めずに取り組んだ成果が、時間をかけて結果に結びついていくことは、これまでの生徒たちを見ていてもよくあることです。受験勉強においても、「必死で取り組んでから3か月後に少しずつ結果に表れてくる」と言われることがありますが、実際今年の高3の生徒でも、夏休みに必死に学習した結果がようやく11月に行われる最後の模試に表れてきて、それで何とか自信を持つことができ、それから志望校合格に向けて努力をさらに重ねて結果に結びつけることができた生徒もいます。私たち大人に求められていることは、結果をすぐに求めることではなく、子どもたち自身が考えて行動する習慣をつけ、地道な努力を支えていくことです。それが教員の仕事でもあるわけですが、ご家庭とも共有、協力しながらやっていけたらなと思っています。

 

きっと多くの保護者の方も、理想像は分かっていながら、目の前の子どもにどのように学習に向かわせていけばよいのか悩まれていることも多いのではないかと思います。特に中学2,3年生くらいに見られるような反抗期の子どもに、どうやって声をかけていいのかは難しいところだと思いますし、理想と現実の子どもの対応にイライラすることも多いかと思います。ただ、一人ひとり気づきや成長のペースは違ってくるものだと思います。どうしても私たちは「平均点」「偏差値」というものの前に他の子どもたちとの比較をしてしまいがちなところもあるように思いますが、一人ひとりに応じた成長を見守っていけたらなと思います。

 

 

部活を通して、身に付けて欲しいこと

さて、ここまで学習のことだけを書いてきましたが、実はこれらのことは部活でも共通して言えることが非常に多いです。しかも、勉強はどこか仕方なくやらされていると感じている生徒も低学年になるほど多いかもしれませんが、部活については、元々は自分で好きで選んでやっているはずですので、部活での取り組みを通じて、“できないこと”を克服するにはどのようなことをしていけばいいのかということを身に付け、学習にもつなげていける力を養ってほしいなと思っています。

このあたりのことについては、先日から記事にしているところです。

上の記事の中でも書きましたが、全国大会に出場しているような学校の中には、平日でも1日あたり朝練2時間+放課後練習5時間=7時間練習に充てているところもあります。この数字は、私が顧問をしている部活の1週間の平均練習時間に相当します。実はうちの学校でも1 0年位前まで本番前は週に20時間くらい練習していたこともありました。単純計算で今の3倍です。確かにその頃は練習ももう少しゆとりをもってやれていたように思いますし、演奏にもそれが表れていたところはあるかと思います。

このように、時間をかければかけただけ結果につながっていくことはあるかもしれませんが、一方でただやみくもに練習時間をとることが学校生活全体や子どもたち一人ひとりの成長にとって良いことだとは思いません。実際以前に比べて進学実績が重視されるようになり、各教科から膨大な量の課題が与えられたり、家庭学習時間が要求されてきていたりする中で、今以上に部活の時間を増やしていくことは難しいと思います。

しかし一方で、練習の質を上げていくことで、今よりももっと上達することは可能です。そのためには、かつて週に20時間くらい練習していた頃から伝統的に伝わっている練習方法にこだわることなく、今の自分たちのとって必要な練習が何かを精選して、新しい伝統をつくっていくことだと思っています。そのはたらきかけや、具体的な方法などは顧問やコーチからも投げかけているところですが、先輩から「良い」とされて伝わってきたことを自分たちの代で変えるということにはかなり勇気もいるようです。

英語では、バラバラに覚えた単語や熟語がいろいろな文章に盛り込まれています。数学や理科では重要な公式があって、それをそのまま使うだけではなく、それを組み合わせて利用できる力が求められます。同じように音楽の練習でも、音階やリズムなどの基本的なことをまず徹底的に身に付けておくことで、「曲」という形でそれを利用すると考えて練習していければ、もっと1曲にかける譜読みの時間は減らせるはずですし、その分音楽表現といった応用的なところまで踏み込んでいくことができます。

部活というものには、音楽などの文化的素養や運動競技そのものの力を伸ばしていく側面もありますが、その過程で何か物事に取り組むときにどのようなアプローチをすればいいのかということを考えたり、上手くいかないことを試行錯誤しながらクリアしていくような場面も多くあると思います。そうした力を養えるような活動にしていくことも、指導者の役割なのかなと思ったりもします。

 

まとめ

最初に述べたように、大学入試は変わってきているような気もます。それは世の中が求めている学力観が変化しているということでもあります。でもだからといってただ学習時間をさらに増やして、今までよりもたくさんのパターン練習を積み重ねていけばいいかというと、必ずしもそれだけではないと思います。

これから子どもたち一人ひとりに求められてくる力というのは、

  • 限られた時間の中で、他人と協力しながら課題を解決する力
  • 身に付けてきた基礎的な知識や技術を利用する力
  • 臨機応変に場面に応じた判断をすることができる力
  • 高い目標に挑戦したり、自分自身で何かを生み出していくことを楽しめる力

といったことのように感じています。

これらの力は部活でも身に付けさせたい力でもありますし、部活を通しても身に付けていけるものだと考えています。何より子どもたち一人ひとりが頑張ってきたことを、子どもたち自身が生きていく上で自信にしていけるような取り組みにしたいというのが一番の願いです。

保護者の方々と協力しながら、子どもたちの成長を支えていけるようにこれからも頑張っていきたいと思います。

 

(保護者向け通信より)

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