吹奏楽部の練習でたまに見かけるのは、「これをやってからでないと曲練習に入ってはいけない」という『練習メニュー』が決まっていて、それを必死にこなそうとしている部員の姿です。
確かに運動部では、顧問の先生が
- ランニング グランド〇周
- 腹筋 〇〇回×△セット
- 腕立て伏せ 〇〇回×△セット
- スクワット 〇〇回×△セット
といった練習メニューのメモを渡して、「先生が来るまでの間、生徒たちでやっておけ!」という指示をしているのを見かけることはあります。これも本当は意味を持たせてやった方がいいのだとも思いますが、基本的なやり方を身につければ、基礎体力を養っていくために、決められた回数をこなすことは必要なのかもしれません。
しかし、吹奏楽部の練習において、
- ロングトーン 〇本
- リップスラー 〇本
- リズム練習 〇本
のように「決められた数」をこなすためだけの『練習メニュー』が提示されたとしても、その練習にあまり意味は感じられません。でも、真面目で素直な生徒ほど、その決められた練習を忠実にこなし、それを後輩たちにも伝え、「その部活の伝統」という形で引き継いでいっているような気もします。
こんな風に決められた伝統の練習メニューをこなすだけになっている部活はありませんか?
今日は、どんな風に練習を組み立てていけばいいのかをちょっと考えてみたいと思います。
|決まったことをやるのは悪いことではない!
楽器の練習をするときには、同じような練習を何度も繰り返すことも大事です。
例えばトランペットであれば、
- ロングトーン
- リップスラー
- フィンガリング
- 音階
- タンギング
などの練習は、1回できたからもうやらなくていいというものでもなく、自分のコンディションを整えたり、技術を磨いて音のクオリティを高めたりするために、できれば毎日やるのがいいと思います。
しかしここで大切なのは、
- 自分のコンディションを整えるために
- 技術を磨いて音のクオリティを高めるために
など、個々が具体的な目標を持ち、何に注目をして取り組むのかを明確に持つことです。
ロングトーンについては、以前も下記の記事でとりあげましたが、リップスラーやフィンガリングなどの練習でも同じようなことが言えると思います。
毎日決まったことに取り組むことのメリットとしては、「コンディションの確認」という側面が大きい気がします。
私も「バカの一つ覚え」のように物事に取り組む方なので、いろいろな先生方に教えていただく中で少しずつ変えながらも、毎日のウォームアップは高校時代からだいたい同じような流れでやっています。
初めは「先生や先輩にやるといいと言われたから」という理由で始めたのですが、それをずっと続けていくと、日によって唇がなじみにくかったり、息がスムーズに流れなかったり、「何だか調子が悪いな」と感じるときと「今日はなんかいけそうだ」と感じるときが明確になってきました。そして、「調子が悪いな」と感じた時は、いつもより丁寧に音出しをするようにしたり、休憩をできるだけはさんだりすることで、だんだんと状態を良くしていくように流れをつくっていけるようになってきた気がします。
これは、同じことをやっているからこそ、余計に気づくことなのかなとも思います。
しかし問題なのは、その方法だけを他人に押し付けてしまったり、ただこなすだけで満足してしまったりすることです。
大切なのは、方法ではなく、「何を意識してやるか」というところにあります。
名手と言われる演奏家たちも、おそらく毎日のルーティンのような練習はあると思いますが、この「何を意識してやるか」というところの意識の向け方や、音の感じ方がとても繊細であるように思います。
|繰り返し練習には意味がある!
ルーティンで練習メニューを“こなして”いたとしても、
- 響きのある音で吹けているか
- 発音はイメージした音に合っているか
- 周りと響きを調和させているか
- 周りとテンポ感や音のスピード感は合わせられているか
などを考えながら練習し、その都度、「いまいちだな」と思ったら同じ題材を使って、少しずつアプローチを変化させながら、納得がいくまで繰り返し練習をすることはとても意味のあることだと思います。
ただ『決められた練習メニュー』をこなすことに精一杯になってしまうと、ロングトーンなら「音を〇拍伸ばすこと」ということだけが目的になってしまい、それができたらとにかく先に進めばいいという考えに陥り、せっかく何かに気付いていても、そのまま進んでしまっていくことも出てきます。それはとてももったいないことです。
とは言っても、部活の雰囲気が『決められた練習メニュー』にこだわる感じがあって、それをやらなければいけないこともあるでしょう。
確かに、パート練習や基礎合奏などで仕切る立場にない場合、『決められた練習メニュー』をこなさなければいけないと感じることもあるかもしれません。そのような場合、「やっぱり言われたことをやるしかないのか」と諦めてしまうのは早いです。
たとえ練習メニューが決まっていたとしても、自分がその練習に対してどんな意識で臨むのか、何を大切にして次吹こうとするのかを考えられていたら、意味のある練習にしていくことができるかと思います。
「言われたからやらされているんです」
「自分がやりたいこととは違うんです」
「うちの部活はやり方がダメなんです」
とうまくいかないことを周りの環境のせいにしてしまうことは簡単です。でも、それでは自分自身も上達できないし、雰囲気も決してよいものにはできない気がします。
まず思うことがあったら、まず自分で目の前の練習の意味づけを考えてみるのも一つの方法です。何をやるにしても、きっと初めに考えた人は何らかの意味を感じて始めたのだと思います。もし周りの状況を変えるのが難しいのであれば、自分の意識のレベルで練習を意味のあるものに変えていけたらいい気がします。
|ただ繰り返しやるのは、逆効果
『決められた練習メニュー』であれ、曲の練習であれ、ただやみくもに「できるようなるまで繰り返す」という根性論だけで反復練習をするのはあまり意味がありません。
昔は「1000回練習すればできるようになるんだ!できないのは練習が足りないからだ!」などと叱咤されて、ひたすら反復練習することも少なくなかったように思います。
確かに「できないのは練習不足」というのはその通りだとも思いますが、原因を考えたり、アプローチを変えてみたりすることなく、同じように同じ部分を何度も繰り返したところで、“慣れ”でできるようになる面もあるかもしれませんが、効率的な方法だとは言えません。むしろ、『間違える練習』になってしまい、より間違えたことが体に刷り込まれてしまったり、なかなか上手くいかないがために、その練習に嫌気がさしてしまうこともあるかと思います。
できるようになるまで、自分で工夫して挑戦し続けること
楽器の練習でも、勉強でも仕事でも、その思いを持ち続けて努力することは大事なことです。ただ、挑戦している自分に陶酔してしまい、「こんなに頑張っているのだからできるはず」とがむしゃらにやり続けていくのでは、なかなか上手くいかないこともあると思います。
例えば、何度やってもできないフレーズがあったとしたら、
- テンポをゆっくりにしてやってみる
- 声に出して歌ってみる
- 間違えやすい部分だけを取り出してみる
- 同じ音でリズムだけ練習してみる
- リズムは単純なものにして音のつながりだけ確認してみる
- スラーで練習したり、アーティキュレーションを変えてみたりする
など、様々なアプローチでやってみると、
- 指が回りづらいのか
- リズムがとれていないのか
- 頭で音程が取れていないために音がはまらないのか
- 苦手な音のつながりがあるのか
- タンギングがうまくいっていないのか
といった自分の中にある原因に気付くことができるかと思います。原因が分かれば、それに応じた方法を考えて練習してみること。その方法も様々あっていいと思いますし、その都度、今の自分にとっていいと思う方法でやっていければいいと思います。
練習に目安となる方法はあるかもしれないし、それを先生方は教えてくれると思います。しかし、大事なのは方法ではなくて、いかに自分の目指すものに近づいていけるかということです。何でもかんでも自分のオリジナルでなければならないということではありませんが、言われたことをそのまま鵜呑みにするのも怖いことです。
繰り返しやることは大事なこと。でも、ただ繰り返すだけでは意味がない。
それを心の片隅にいつもおいて、練習を「自分をレベルアップさせるためのゲーム」だと思って楽しく、形にこだわらずやっていけたらいいなと思います。
|まとめ
前に誰かがやったことを踏襲したり、誰かに言われたことをその通り実行することも大切なことです。でもそれは踏襲したり実行したりすることで、何か得られるものがあるに違いないとか、意味を感じられている場合の話で、ただ意味も分からず義務感でやるのでは時間の無駄になることも多い気がします。
前例の通り、言われた通りにやることは、道筋も結果も想像できるし、方法も考えなくてよいし、ラクかもしれません。とりあえずこなせればいいやということは、それでも良いかもしれません。でも本当に自分自身を成長させたり、本気で楽しみたいと思ったら、自分で考えて挑戦していく必要があります。
自分で考えてみた結果、前例や人に言われたことに戻ってくるかもしれません。でもそれは一度自分の中をくぐったものなので、やってみる価値は大いにあると思います。とにかく思考を停止させないこと。自分がやりたいと思う気持ちを大事にして、成功か失敗かの二択ではなく、ただ挑戦したいものです。成功や失敗という結果は、その後ついてくるものですし、どちらに転んでも、自分自身は成長させることができるはずですから・・・
子どもたちが成功や失敗という結果にこだわらず、面白いと思うことに挑戦していけるような環境づくりをこころがけていけたらなと思います。