部活のあり方を考える③ ~当たり前のことは本当に当たり前なのか~

最近、部活の問題がたくさん流れてきていろいろ考えさせられます。今日のブログでは最近いくつか気になったことについてまとめておきたいと思います。
■部活で養うのは「人間形成」というのは当たり前なのか?
一橋大学の中澤篤史氏の「運動部活動の国際比較」(http://www.edu-kana.com/kenkyu/nezasu/no50/nakazawa.html)の中で、次のようなことを述べています。
『アメリカとイギリスの指導者は競技力向上を挙げるのに対して、 日本では第一に人間形成を挙げる。 
 これらを踏まえて、 日米英の運動部活動の総括的特徴を対比的に述べると、 日本は 「一般生徒の教育活動」、 アメリカは 「少数エリートの競技活動」、 イギリスは 「一般生徒のレクリエーション」 として、 まとめることができるだろう。』

つまり、部活動が教育活動の一環として総合的な人間形成のために行われているのは、日本の部活動の特徴だということもできるのだと思います。
それ自体は悪いことではないと思いますし、私自身、部活によって様々な人間関係や、対外的にどう行動したらよいのかなど、多くのことを学ぶことで、視野も広がりましたし、もし部活がなかったら不登校になっていたかもしれない、そんな風にも思っています。
でも「人間形成」の名のもとに、子どもたちを威圧し、抑制し、訓練して、教師の言いなりにさせることはまた行きすぎたことなのだと思います。
クラリネット奏者でサックス奏者のMASA☆さん(@MASA_Music)が次のようなツイートをされていました。
『子供を怒鳴りつけ抑圧して成果を上げようとする事が、どれだけ子供達の心身の成長に支障を来たしているか、指導する立場の人達は勿論保護者の方達にも知って欲しいと思います。
叱るのは悪い事をした時と他人に迷惑をかけた時だけで充分なのです。』

このツイート内でリンクされていた日宇歯科の「こども期の脳のはたらき」(http://www.d6.dion.ne.jp/~hiudent/brain1.html)という記事を読んでみました。
それを読んで思ったのが、「抑圧すること」「感情に任せて怒ること」で子どもたちを半ば”支配”することが、どれだけ成長過程の脳に影響を与えるかということです。
トランペット奏者の高垣智さん(@SatoshiTakagaki )が次のようなツイートをされていました。
『僕はよく思ってしまうのですが、先生から言われた/怒鳴られた事による義務感や恐怖心から練習や行動するようになっている(仕向けられている)子たちは、将来社会に出て、誰もわざわざ事細かに指示なんてしてくれないけど結果の責任は自分で負わなければならない現実に置かれた時、一体どうするの…』
考える力、創造する力を養うためにも、丁寧に会話することを大切にしなければならないと思いましたし、その上で本当に必要なときにきちんと「叱る」ことができるような気がしました。
もし本当に部活が「人間形成」の場であるとしたら、そういうことをきちんと理論的にも理解した上で、頭ごなしに怒鳴ったり、根性論で教えたりすることなく、一人ひとりの子どもたちにとってどんなはたらきかけをすることで、どのような成長をさせたいのか、明確なビジョンを持つべきなのではないか、改めてそんな風に思いました。
■部活で取り組まれている練習メニューは本当に当たり前なのか?
トランペット奏者の高垣智さん(@SatoshiTakagaki )が次のようなツイートをされていました。
『(僕のこれまでの乏しい経験では、)吹奏楽部の顧問をされている先生で、「腹筋って本当にやらせた方がいいのでしょうか?」「金管は無理に吹かせ続けるのって本当はどうなんでしょうか?」等、変な(日本吹奏楽部の)常識に対して疑問を抱くことのできる先生の多くは、吹奏楽部経験者ではない…。』
何だか分かる気がします。それだけ吹奏楽文化の中では慣習となっていることが、何の疑問もなしに伝統として受け継がれていってしまっていることも多いからです。
もちろん良いところも沢山あるのだけれど、おかしなこともたくさんあるようにやっぱり思うのです。やる理由を説明できないことは、やらせないのが妥当かとさえ思ってしまいます。
付け加えると、「○○高校がやっているから」というのは理由にはなりません。もし導入するのなら、それをやっている学校の指導者にどのような意図でどのような効果を期待してやっているのかを聞いてみるべきだし、専門的に音楽を学んだ人に検証してもらうことも必要な気がします。ただ根性でやるのは違うことなのだと思います。
そういう意味では私もまだまだ不勉強だし、もしかしたら子どもたちに間違った方法で指導してしまっていることもたくさんあるように思います。
結局、決定的な「正しいこと」はないのかもしれないけれど、それを探し続け、ちゃんと理由を説明できるように学び続けることが、大人の役割のような気がします。
生徒にとっても教員にとっても一番HAPPYな状態をどうやってつくっていくか。
自分は今その答えをアレクサンダーテクニークに求めているような気がしています。
自分がどう自分らしくいられるか。
部活でもそんなことを目指して、みんなが奏でたい音楽を、伸び伸びと奏でられる環境をつくっていきたいものです。
(Twitterまとめ)

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