厳しい教師がよいのか? ~WSJの記事を読んで~

ウォールストリートジャーナルの記事に以下のようなものがありました。それについて今日はつぶやいていこうと思います。
『厳しい教師が優れた成果を上げるのはなぜか』
http://m.jp.wsj.com/articles/SB10001424052702304827404579106511854921736?mobile=y&mod=JWSJ_EditorsPicks
この記事は注意深く読まなければいけないと思う。
「厳しさ」という概念をどう捉えるかが必要だからだ。
ただ怒鳴り散らしたり、感情に任せて怒ったり、体罰を加えたり、スパルタ根性論に頼る指導が厳しさではない。
真の厳しさとは、子どもたちの力を”信じている”からこそ妥協をせず、その時その時の子どもの状態に応じた壁になること、時にできるようになるまで寄り添ってともに考え抜くことだと私は思う。
確かにここで言われているように、技術や知識の習得には時間をかけて反復させることが必須だと思うし、そのためには「どうしてもできるようになりたい」という内発的な動機が必要になってくる。
だからこそ、この記事でも言われているように、
「生徒をやる気にさせて、より高いレベルに向かわせる、感情に押し流されないコーチ」
という存在が教師に求められるのだと思う。
また、「ほめると人は弱くなる」とあるが、確かに根拠なしにただ褒め殺しにするのは問題だと思うが、できるようになったことという現実をそのまま伝えてあげることは必要なことだと思う。それは、どのようにすればできるようになるかを教えることになるからだ。
この記事でも述べられているが、「失敗してもかまわない」のだ。「失敗」したままにさせるのではなく、何回でもできるようになるまでチャンスを与える。そして、どのように努力すればできるようになるかをつかませる。それが大切なのではないかと思う。
どんな子どもたちにも、できるようになりたいと願う向上心がある。それをどのように引き出せばよいかは、子ども一人ひとりの性格にもよるだろうし、状況によっても変わってくるものだ。
甘やかせばいいと言っているわけでも、この記事自体を否定するつもりはない。
「やさしいより厳しいほうがいい」
「厳しい教師が優れている」
この言葉だけが独り歩きして、スパルタ根性論が横行するのが心配だ。

iQiPlus

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。