昨日、Twitter上で、次のようなツイートを発見し、はっとさせられました。
重要なのは、自分をいかに観察できるか、という事に尽きると思います。楽器の吹き方に関する「どうしたら○○ができるようになりますか?」という問いに対する答は、多分ないですよね。答は自分しか知らないし、自分の身体が知っているはず。自己観察がそれを発見に導いてくれるのではないでしょうか。
(高垣 智 @SatoshiTakagakiさん)
確かに楽器が上達するのに答えは一つではありません。
奏法なんて、実は細かいところまで考えたら人それぞれ違っていて当然なのかもしれません。
客観的に聴いてもらってアドバイスを受けることはできても、最終的には自分で感覚をつかみとっていくものです。昔ながらの「お稽古」と言われるものは、師匠の持っているものを自分でつかみとって一人前になっていきます。もしかしたら、それに楽器の練習は当てはまるのかもしれません。
楽器が上達するために必要なことは何か。
それは永遠の問いかもしれないけれど、まず大切なのは「自己観察→分析→考察→実験→自己観察…のプロセスをつくること」が欠かせないのではないか改めて思っています。
①自己観察
・自分がどんな音楽をやりたいのかをイメージする
・自分がやりたい音楽がどの程度できるようになっているのか評価する
・自分が次のステップに進むために必要な課題を把握する
②分析
・必要な課題をクリアするためには、どのような練習が必要なのかを考える
・できるようになったことは、どのようにしたらできたのかを考える。
③考察
・自分がやりたい音楽のために、次に何をしたいかを考える
・できるようになったことが増えた時、どんな気持ちになるかを考える
(自分が本当にしたいことをイメージする)
④実験
・自分がやりたい音楽をつくるために、③でやろうと思ったことに挑戦する
このサイクルで大切になってくることは、やはり「自己否定」に入らないことです。
逆に大切になってくることは「自分がどんな音楽をやりたいか」というイメージを持ち続けることです。
同じく昨日のツイートで次のようなものがありました。
自分の理想の音を奏でるためには、そのためのプランを100個持つのよりも、その理想の音そのものを自分の中に持っていることのほうがずっと大切なんですね。有益なプランは役立ちますが、それだけで楽器が演奏できるわけではありません。どんなに優れていても、イメージに勝るメソッドはないんです。
(福見吉朗 @fukurou293 さん)
結局のところ、音楽のイメージが自分の中になければ、表現なんてしようがなくて、自分が本当に欲していることは何なのかを分かっていなければ、練習は「やらされているもの」になってしまうのかもしれません。どんなにきちんと計画立てて練習をしても、一人ひとりの中に「やりたい音楽」がなければ、無表情な「音が苦」をつくりあげてしまうことにつながりかねません。
どんなときも「音楽を奏でている」ということを忘れずにいたい。そのためにも、どんな音色で、どんな表現をしたいのか、いつもイメージしていたいなと思います。
(Twitterまとめ)
練習のサイクルをいかにつくるか? ~自己観察から始まるプラスのサイクルづくり~
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