「習慣」は新しくつくりだせるもの

学校現場にいると、「振り返り」「反省会」という機会に触れることが非常に多いです。それを行うこと自体は、自分たちがやったことを客観的に見てどうだったか分析し、次につなげていこうとするものですので、決して悪いことではありません。

しかし、『反省会』という名称にも表れているように、せっかくの機会が「ダメ出し」で終わってしまい、建設的な振り返りになっていないことも多いような気がします(自分も知らず知らずのうちにやっていることも多いです…)。

では、なぜ「ダメ出し」だけでは建設的な振り返りにならないのでしょうか?

 

「ダメ出し」から生まれる思考とは?

部活の本番が終わって「反省会」が行われたとして、どのような意見があがりやすいでしょうか?

実際によくあがる意見としては、次のようなものがあげられます。

  • ピッチが悪かった
  • ダイナミクスがついていなかった
  • バランスが悪かった
  • 音を外したり、リードミスが目立った
  • ステージ進行がスムーズではなかった
  • 自分のことだけでいっぱいになってしまった  など

また、テストが終わった後に「振り返り」を行ったときには、次のような感想が多いようにも思います。

  • ケアレスミスが多かった
  • 時間配分を誤った
  • 勉強不足だった
  • 覚えなければいけないことを覚えていなかった
  • 演習が足りなかった
  • 勉強を始めるのが遅かった
  • 見直しをしなかった
  • 問題集のやり直しをしなかった  など

ここで共通していることは、「否定形」だったり、自分のやったことに対しての「否定」が多いということです。

もちろん、自分ができていなかったことを客観的に認識できることは大切なことです。ただ、ここで反省会や振り返りを終わらせてしまうと、「次にどうすればいいか」を考えてみたとき、次のように“二重否定”の形で考えやすくなってしまいます。

先程の例でいけば、

  • ピッチがずれないようにする
  • ダイナミクスの幅が小さくならないようにする
  • バランスが悪くならないようにする
  • 音を外したり、リードミスをしないようにする
  • ステージ進行がバタバタしないようにする
  • 自分のことだけでいっぱいにならないようにする

とか、

  • ケアレスミスをしないようにする
  • 時間配分を誤らないようにする
  • 勉強不足にならないようにする
  • 覚えなければいけないことを覚えていないことがないようにする
  • 演習が足りていないことがないようにする
  • 勉強を始めるのが遅くならないようにする
  • 見直しをしないことがないようにする
  • 問題集のやり直しをしないことがないようにする

という感じになるかと思います。

極端な言い回しの例をあげてみましたが、仮にこれが続くと、自分がやってきたことに対しての“否定”で終わってしまい、その度に自己否定を積み重ねていく事になってしまいます。

また、「しないようにする」ために何をすればよいのかが明確でないために、色々な可能性が生まれてしまい、結果として何をすればよいか分からず、改善できないまま反省ばかりが積み重なっていってしまうという懸念もあります。

では、建設的に振り返りをするためにはどうすればよいのでしょうか?

 

建設的な振り返りをするためには?

例えば「音を外してしまった」という反省点があったとします。

でも、なぜ音を外すことがいけないことなのでしょうか?

  • 楽譜に書いてあるから?
  • 正確に吹かないといけないから?
  • ミスしてはいけないから?

逆に、音を外さないとどのようなことが可能になるのでしょうか?

  • 奏でたいとイメージする音楽に近づける
  • かっこよく決められてうれしい

このように、それぞれの反省点の裏には、「自分がどのようにしたいのか」という希望や望み、理想があるのだと思います。それを「〇〇しないようにしなければいけない」という義務や責任感だけで担ってしまうと、本当にやりたいことが見えなくなってしまうこともあるような気がします。

私自身、学生の頃は身の程知らずだったこともあると思いますが、「自分がやりたいこと」だけにフューチャーして、思い切りぶつかっていけていたように思いますが、教員になり、吹奏楽部の顧問になって指導をするようになってからは、どこかで「自分は失敗してはいけない」「こういう演奏をしなきゃいけない」というプレッシャーを自らにかけて、だんだんと「どんな風にしたいか」という気持ちを忘れていってしまいました。

そのことに気付かせてくれたのは生徒でした。10年近く前になりますが、ある生徒に「先生が細かく指摘してくれるのはありがたいのですが、もっと“どんな音楽がやりたい”ということを出していってください」と言わたことがあります。その時、自分が自分自身に「〇〇してはいけない」という禁止事項をたくさん課していることに気が付きました。

その後、アレクサンダーテクニークを学び始めたり、トランペットのレッスンに再び通うようになって、改めて自分の中に「こうしたい」という思いがないと、息苦しくなることも多くなりました。そして、中高生の頃の「かっこいい!あんな風に吹けるようになりたい!」という純粋な気持ちが、何事にも根本になるのだなということを痛いほど感じるようになりました。

建設的な振り返りとは何か?

それは、改めて自分がしたいこと、なりたい状態を明確にして、それに近づくためにどのようなアプローチができるかを考え、いろいろ試してみる機会をつくり出していくことなのだと思います。

たとえ思いついたアプローチが失敗に終わったとしても、実験をしてみたこと自体にOKを出してあげたり、試行錯誤してみることを楽しんでみたりすることで、自己否定に陥らず、建設的に思考を循環して、ちょっとずつらせん階段をのぼっていけるのかなと思ったりします。

起きたことそのものにダメ出しをするのではなくて、理想や目標に近づくためにできることは何かと考え続けていくことが、結果的にそれに近づくための最短距離になったりするものなのかもしれません。

 

今までの習慣に感謝しながら、新しい習慣をつくっていく

アレクサンダーテクニークを学ぶ中で、「抑制」と「方向性」という言葉が用いられることがあります。簡単にまとめてしまうと、これらの言葉には次のような意味が含まれています。

■抑制(inhibition)
・今までやっていたことをやめること。

■方向性(direction)
・新しいことをやるためにすること。
・「自分に対する指示」という意味と、「〇〇を動かす」など物理的なこととの両面の意味を持ち合わせている言葉として捉える。

ともすると、「アレクサンダーテクニーク」という新しいことを始めるために、「これまでの習慣」は封印して、顔を出さないようにしないといけない、と考える人もいるかもしれません。自分も未だに、これまでの習慣があまり自分にとって望ましくないものだったりすると、「出てこなくていい」と抑え込もうとする傾向があります。

しかし、「〇〇をしないようにしよう」と思った結果、具体的に想像されるのは「〇〇すること」であって、それを阻止しようとしても、嫌なイメージがより明確になって、意識すればするほど嫌なイメージが頭から離れなくtなって、結果としてそれを現実のものとして再現してしまうことも少なくありません。

トランペットであれば「高音を外したくない」と思ってばかりいると、外れた時のことが鮮明になってしまい、結局外れた状態が頭に残って外してしまう、ということは多々あるような気がしています。逆に「音は外れてもいいや。この音楽の流れでいこう!」と思って吹いた時の方がスムーズに吹けて、結果として音も当たることが多かったりするものです。

だからこそ、「こうしたい」「これをやりたい」と思うことに意識を向けて、それに集中して取り組んでいくことで、それまでの習慣が顔を出すことを自然と抑制していくことが大切なのだと思います。

言い換えると、「習慣」というすでに出来上がっている建物(神経回路)をぶち壊して新しい建物を立て直すのではなく、でき上がっている建物はそのままに、新たに建物を増築し、注目は新しい建物に向けていく、といった感じでしょうか。

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これまでの習慣も、自分自身が生き延びていくために時間をかけて身につけてきたものです。だからこそ、それを全否定してしまうのではなくて、「今までありがとね、これからちょっと新しい習慣も試してみるからね」という気持ちで、新しい習慣に挑戦することに集中することで、結果としてこれまでの習慣を抑制して、新しい習慣を身につけていくことなのかなと思います。

 

今の自分で言うと、大きくは次の2つのことに挑戦しています。

1つは、トランペットを吹く時にずっと下唇に支点があったことで顎の自由さが失われていたのですが、それを「上唇からセッティングする」ということで顎の自由度を持って演奏するという新しい習慣を身につけるということです。

2つ目は、職場に入ろうとすると緊張して身体を萎縮する習慣があるので、入ろうとする瞬間に自分のまわりの空間の広さと、周囲とのつながりを意識してみるということです。

長年続けてきた習慣は、意図せずとも強引に顔を出してくることもありますが、できるだけ具体的に新しくやりたいことを意識し続けることで、徐々に新しい習慣が自分のものになりつつあるようにも思います。

いずれにせよ、共通しているのは「頭が動けて、身体全体がついてきて」というプライマリーコントロールを最初に思い出すことです。そこを基点として、身体全体のことを考えてみることで、連鎖して思い出せることがたくさんあります。まだまだ自分にはいろんな可能性があるのだということを信じて、やろうと思ったことを肯定形で自分自身に指示する練習をしながら、探究を続けていけたらと思います。

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「習慣」は新しくつくりだせるもの” への1件のコメント

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