同調圧力のはたらかない集団で、より高みを目指す!

以前も同じようなことを書いたことがあるのですが、気になることがあったので、昨日に続いての連投です。

ここのところ、コンクールの季節ということもあってか、「本気でやってくれない子がいて困る」といった中高生の声や、「生徒のやる気を引き出すことができなかった」といった顧問の先生の声を、Twitterのタイムラインでよく見かけます。

自分自身も、そう思った経験があります。

でもそれが、誰かのことを追い詰めてしまうことになったり、嫌な雰囲気をつくる原因になったり、結果として一つのものをみんなの力を使って作り上げていくところからは程遠い結果になってしまうこともあるように思います。

今日は、個々のモチベーションと集団としての成長をどのように考えていけばいいのか、今思っていることをつぶやいていこうと思います。

 

全員が全く同じテンションで、全く同じ方角を向くことはまずない

私もかつては、部活なんだから一致団結して、みんなで同じ方向を向いて、同じテンションで頑張るべきだという考えの持ち主でした。

・コンクール前なのに、何でこんなにヘラヘラしていられるのだろう?
・何で本番直前になっても、人がそろわないのだろう?
・自分は一生懸命やっているのに、なぜついてきてくれないのだろう?
・好きで入った部活のはずなのに、なぜ頑張れないのだろう?

中高生の頃も、教員になってからも、このように思ったことを数えたらきりがありません。それが原因で友達と大喧嘩になったこともありますし、きっと傷つけてしまった友達もいたと思います。生徒に対してもきつくあたってしまったこともあるように思います。

でも、これらの思いはあくまで自分の気持ち。もしかしたら、もっと頑張りたいと思っている人たちからしたら、自分も同じように思われているかもしれません。逆に、「部活なのだから、そこまで熱を上げなくても」と感じている人もいるでしょう。

部活に対するモチベーションの違い、部活に求めているものは、それぞれ違うものです。「強豪校」と呼ばれる高校などは、そこを目指して「部活を頑張りたい」と思って入ってくる部員も多いかもしれませんが、学区で入学する学校の決まる公立中学校や、それほど部活に力を入れているわけではない学校であれば、部活に対する意識の差が大きいことは当然とも言えるでしょう。

生まれながらの性格も、家庭環境も、興味も、置かれている状況も、まったく同じ人間はいません。たとえ遺伝学的に同じである双子であっても、それぞれに個性はあるし、まったく同じように考えるわけではありません。

考えが違うことは当たり前。

どんなに興味が似た人の集まりだとはいえ、コピーロボット(死語?)の集まりではありませんから、まったく同じ思想に統制することは、普通はできません。

中高生の場合、集団生活の中で「自分と他人は違う」ということに気付き、自分という存在を確立していく過程にありますから、考えが違う相手の存在を受け入れるまでには様々な葛藤もあるでしょう。

しかし残念なことに、教員の中に「みんな一緒に」「みんなで同じように」ということを求める人はまだまだ多いように思います。

特に、部活に対して「みんなで同じように」を求める傾向は強い気がします。クラスでは「一人ひとりの違いを認めながら…」という話をしている先生でも、部活となると「一致団結して…」と要求が豹変する先生も少なくありません。それは、クラスが基本的にランダムに編成されるのに対し、部活は「同じ興味を持って入ってきたのでしょ?」というフィルターがかかることが原因の一つだと考えられます。

でも実際のところは、
・友達に誘われたから入ってみた
・何となく楽器ができたらカッコいいかなと思って入ってみた
・他に特に入りたい部活がなかったから入ってみた
・親に勧められたから入ってみた
など、ガッツリ音楽をやりたい、部活をやりたいと思って入ってきた部員ばかりではありません。

そういう子たちに、いきなりものすごい熱量をもって真正面から「頑張ることが当たり前」をせまってしまったら、「音楽が面白い」「部活が楽しい」と思うどころか、逆に部活から足が遠のいてしまうこともあるように思います。

もちろん、そこで続けなければいけないわけでもありませんが、一般の楽団に入ることができる高校生以上と違って、中学生は自分の求めているものに合ったところを探すことは難しいですし、結果として音楽の門戸を狭めてしまうことにもつながりかねません。

ですからまずは、顧問や指導者、保護者など、子どもたちをとりまく大人たちが「一人ひとり部活に対しての考え方が違っていても、当たり前のことなのだ」ということを大前提として認識しておくことが大切なことのようにも思います。

 

互いに一致できるところを見出すことも必要

しかし、一人ひとりの考えが違うことも、モチベーションや方向性が違うことも、当たり前だから仕方がないのだ、と何もアプローチをしなかったら、バラバラのまま収拾がつきません。

まずは、現状を見て無理のない範囲で、全員に最低限一致させておきたいことを、理由と共にあげてみます。例えば欠席に関することであれば、

・休む時はできるだけ分かった時点で連絡をする
→行方不明だと心配
→人の揃い具合によっては練習内容を変更する必要が出てくる

・休みの人がいたときには、伝達事項が必ず伝わるようにする
→「聞いていなかった」「知らなかった」はトラブルの元になりやすい

・休んだら、その日に指摘されたことを聞き、自分でできるだけ消化しておく
→次の練習の時に同じ指摘で時間を費やしてしまうと時間がもったいない

などがあげられるでしょうか。

ここは本当にハードルが低くなってしまっても良いので、全員が必ず守ろうと思えることに絞って決め、それを守る意味を一人ひとりに考えてもらい、納得してもらうことが大事です。

 

次に、一人ひとりが部活に対して求めているものを共有してみることです。

・なぜこの部活に入ったのか?
・部活を通してどんなことをしたいと思っているのか?
・今、部活をやっていて楽しいことは何か?
・部活をやっていて、どんな時につらい(嫌だ)と思うのか?

この時気をつけたいのは、同調圧力がはたらかないようにすることです。

初めに言った部員の言葉や、顧問の意向などを察して、自分が目立たないように当たりさわりのないことを言うことも少なくありません。でも、本音で思っている部分を隠したまま活動していては、やがてひずみが生じます。

いろいろな方法があるとは思いますが、たとえば、ブレーンストーミング法KJ法を組み合わせて、
① 各自が思っていること1つにつき1枚の付箋にひたすら書く
② 時間になったら、3~4人のグループで互いの付箋を共有する
③ 全体で同じような意見ごとに付箋をマッピングしながら模造紙に貼っていく
というような方法でもいいと思います。とにかく「相手の意見・意思を否定しない」という約束のもとで行うことが大事です。

そして、今のメンバーがだいたいどのようなことを考えているのかを共有し、顧問も含めて部活の1年間の活動目標や、当面のところでやれば達成できそうな小目標をいくつか立てていきます。あとは、目標達成のために必要なことをリストアップし、部員たちがやったことに対しての達成感を得られるようにすることです。具体的には、日々目標を意識してもらいながら、どんなに小さなことであってもできたことを認識できるようにしていくことだと思います。

すぐにはできるようにならないことでも、目標を細分化し、そこへ至るまでの道筋をいくつか示したうえで、少しずつ行動を積み上げていけば目標に近づいていけるはずです。目標に近づくことができた実感があれば、もっと頑張ろうと思うこともできるだろうし、できるようになったら面白くなってくるということも多いと思います。

と書いたものの、自分はまだまだこのあたりが下手くそだなと思うばかりなのですが、私の身の回りにいる先生で、上手に部活の運営をされている方は、このように部員たちがやりたいことを主体的に実行していくための土台作りをきちんとされている方が多いように思います。

もちろん、「もっと頑張ったら楽しい世界が待っているのに」「もっと音楽をしっかり教えたい」という思いを持つことは悪いことではありません。教員になったからには「教えたい」「伝えたい」という気持ちがどうしても強くなるのはよく分かります。それにもし、顧問の先生が指揮を振るとしたら、たとえ専門が音楽でなくても、自分の中に目指したい音楽のイメージを具体的に持っている必要がありますし、そこへ向かうための道筋を知っておくことも、教えることも必要なことです。

でも、一方的に顧問(や指導者)の思いを押し付けるのではなくて、思いは語りつつも、部員一人ひとりが「やりたい」と思っていることを実行していくために支えていくような気持ちでいることも大事なことだと思います。

子どもは大人の思う通りにならなくて当たり前。
だからこそ、成長する可能性も無限大です。

教員になる人は真面目な人が多いので、「決まったことは守らせなければいけない」という使命感が強い人も多いと思います。もちろん決まったことを守ることは当然のことなのですが、意味を理解させずに「決まりだから守れ」「言うことを聞け」というスタンスでいては、子どもたちの成長の芽をつんでしまうこともあるでしょう。

まずは、子どもたち一人ひとりと向き合って、じっくり話をすること

なかなかたくさんの仕事を抱える中で時間がとれないこともありますが、相手が心を持つ人間だからこそ、一番大事にしなければいけないことです。これは、クラスでも部活でもこれは同じことなのだと思います。←書いて自分で自分の首を絞める

 

一人ひとりが違うからこそ、集団の力は高められる

「チーム・ビルディング」の研修が一般企業でも行われるようになったくらいですから、大人でも集団で一つの目標に向かって何かをしていくということは難しいことです。

これまでの日本のチームは、トップダウン式で上が決めたことは絶対であり、それを守って動くことで集団も評価され、結果として全体にも利益が上がるというケースが多かったように思います。だから、命令に忠実に従い、自分に課された役割を正確に淡々とこなしていくような人材が求められていたのだと思います。

しかし、今はAIの導入などに伴って、上下関係にとらわれることなく、一人ひとりが役割をもって、自分の能力を発揮しながらチームとして物事を進めていかなければならないという時代になってきました。

もし、部活が社会に出る前に集団で何かのミッションをクリアしていく練習として位置づけられるならば、従来の顧問が教祖のようになって言うことを聞かせるようなやり方は時代に即しているとは言えません。

そして何より、音楽というものは表現の一つの手段であるわけですし、一人ひとりが「こう奏でたい」という意思を持って奏でていくことが絶対に必要なものです。遊園地のアトラクションのように、楽器を持って席に座っていれば、誰かが楽しい時間を与えてくれるわけではありません。

一人ひとりが「こう奏でたい」という意思を持って音を出し、それが折り重なってハーモニーをつくり、互いの良い所を引き出し合いながら音楽が流れていく。それを調整してまとめるのが指揮者の仕事であり、決して奏者の個性をつぶして言うことを聞かせることが仕事ではないと思います。

逆に、一人ひとりが違う感性を持っていて、異なる主張をしてくるからこそ、そのやりとりが面白いものだと思うし、そこにコンピューターの打ち込みではなく、人が奏でる生の音楽の魅力があるようにも思います。

このように考えると、吹奏楽部の活動というのは、「一人ひとりの個性を互いに大事にしながら、目標を達成するために個々が自分の役割を考えて行動し、結果として自分一人ではつくることのできないものを生み出すことができる」という、究極のチームづくりが必要な活動だともいえます。

 

生活の中での部活の優先度は、人によって違うものです。部活命で部活が第一と考える生徒もいるでしょうし、学業やその他いろいろなものよりも優先度が低いと考える生徒もいるでしょう。私の中高時代は前者でしたが、自分にとっては一生の趣味、一生の宝物と出会えましたし、人とコミュニケーションをとるのが苦手だった自分を少しだけ変えてくれるきっかけになったので、部活を頑張って良かったと思います。

しかし生徒の本業は学生ですから、学業だったり、自分の将来につながる部分を深めていくことを第一に考えるのが本来だと思いますし、これだけインターネットやスマホが普及して身近に楽しいものがあふれていたら、わざわざ部活を頑張ろうと思わないのも分かる気がします。優先順位は本人が決めることであり、誰かが操作できるものでもありません。だから、部活が第一で考えられないと言われても、それは当然のこととして受け止めるべきです。

ただ、優先順位を少しでも高くしてほしいと思ったら、魅力のある練習を組み立てることも必要です。普通は、楽しいもの、面白いものには本能的に飛びつくはずです。もし顧問として、もう少し部活の方も向いて欲しいと思ったら、ただ約束を守らせるというスタンスではなく、自らが誰よりも活動を楽しみ、その魅力を伝える努力は必要なのだと思います。そうでなければ、全員に同じことを要求するのではなく、個々の状況に応じながら、「練習で集まっている時は、練習に集中することを最優先にする」ということを約束して、最低限の一致事項を守って活動していくことなのかなと思います。

もちろん、やる気があって頑張ろうとしている生徒の足も引っ張ることがあってはいけないと思いますし、全員で高みを目指していくのが理想のチームの姿です。しかし、その過程では様々な価値観があることを受け入れたり、その違いをどのように乗り越えていけばいいのかを学んでいくことも、部活という場では必要な気もします。

「〇〇しなければいけない」「〇〇ではないとダメだ」という同調圧力で互いの足を引っ張り合うのではなくて、一人ひとりが自分の持ち味を出して、互いを高め合っていけるようなチームづくりを目指して、そしてその先には自分たちが奏でたい音楽の姿を明確にイメージして、日々活動していけたらと思います。

 

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