コンクールの時期だからこそ、考えたいこと。

今年も吹奏楽コンクールの季節となりました。私の勤務校の地区でも、ちょうど地区大会が連日行われているところです。

コンクールは結果がはっきり分かりやすく形として表れるものです。それだけに、子どもたちも去ることながら、大人もコンクールとなると、急にスイッチが切り替わって、いきなり活動の熱量が上がるということもよく耳にする話です。

しかし、コンクールはあくまで部活動の年間行事の中の一つの行事に過ぎませんし、「人に演奏を聴かせる」「聴き手に音楽を届ける」という意味では他の本番と変わることはありません。

コンクールより、定期演奏会はつまらない本番ですか?
コンクールより、老人介護施設での訪問演奏は価値のないものですか?
コンクールより、学校内の行事で演奏することは意味のないことですか?

決してそのようなことはないはずです。どのような本番だって、全力で自分たちにできることを精一杯お客様に届けようとするべきです。

今日は、コンクールの時期だからこそ、敢えて根本に戻って考えてみたいと思います。

 

なぜ、私たちは音楽を奏でるのか?

あなたは、今なぜ音楽をやっていますか?
どんな思いで楽器を演奏していますか?

と聞かれたら、どのように答えるでしょうか。

私は「お客様を感動させたい」などという崇高なことは全然考えていなくて、ただただトランペットを吹くことが楽しくて、音楽に触れていることが楽しくて、気の合う仲間たちと合奏するのが楽しくて、これまで楽器を続けてきました。こんなことを言うと、「ただの自己満足じゃないか!」とお叱りを受けそうですが、まず自分が楽しめなかったら、それは聴き手にも仲間にも伝わってしまうし、まずは自己満足から始めることも大切なのではないかと思っていたりします。

初めは何かしら「やりたい」と思う理由があって楽器を始めても、人から細かい指摘を繰り返しされ続けると、「やらされている」「やらなければいけない」と感じようになる人も多いようにも思います。本当は「楽しいだけがいい」と思っている人もたくさんいることでしょう。自分勝手な自己満足は問題になることもあると思いますが、「楽しいな」と思えていない練習ほど効率も雰囲気も悪くなるものはないと思います。

まず「音楽をやっていることが楽しい」と思えるか。

それが最初の問いに対する答えの一つのように思います。

 

「楽しさ」を追究して、本当の「楽しさ」を楽しむ!

コンクールの練習は、1曲ないし2曲を集中的に取り組むということもあって、細かいところまで突き詰めていく練習になることが多いかと思います。

細かい所まで突き詰めていく練習というものは、一見すると単調なことの繰り返しになることも多いですし、意味が分からずにただ受け身で続けていてはつまらない苦行になってしまいます。

それに加えて、一生懸命やっているのにひたすらダメ出しされたりするのは決して気持ちがいいことではありません。私も合奏で自分がつかまって、自分では頑張っているのにできるようにならなくて、ずっとダメ出しをされ続けたときには、もう楽器なんて辞めてやろうかと思ったこともこれまでにたくさんあります(実際に、その場にいるのが苦痛すぎて合奏を出ていったこともあるくらいです)。

でも、なぜ細かいところまでこだわりを持って練習する必要があるのでしょうか?

コンクールでいい賞を取るため?
より完成度の高い演奏をするため?
指揮者や指導者に注意されるから?

決してそれらが目的ではないはずです。

ゾクッとするくらいハーモニーがぴったり合って気持ちよかったこと
ホールに響き渡った自分たちの音が跳ね返って聴こえてきたときの迫力
本番だからこその熱量と一体感や高揚感
お客さんがあたたかい表情で演奏を聴いて下さっている姿

きっと、本番で演奏したことがある人は一度は経験があるのではないでしょうか。自分一人の力では生み出すことのできない迫力や美しさ、みんなで奏でるからこその楽しさは吹奏楽やオーケストラならではの楽しみだと思います。

ただ何となく音符を並べて、それなりに縦を合わせる作業をして、互いにできないところの尻拭いをしながら演奏するよりも、一人ひとりが自分の思いを音に乗せて表現し、互いにその思いを受け取りながらこのメンバーでしか作れない音楽を追究していくことは、本来はとても楽しい時間のはずです。奏者が本心から楽しいと思って演奏をするからこそ、奏者がその曲を十分に理解し、「こんな思いを届けたい」という意思を持って表現するからこそ、聴いている人も楽しむことができるし、感動する音楽を作ることができるはずです。そして、そういう音楽を奏でることが出来たら、完成度の高い演奏にもなるだろうし、結果として、コンクールの結果にもつながってくるはずです。

もちろん無駄に時間だけを費やせばいいとは思いませんが、何かができるようになるには、ある程度の時間も必要ですし、理解したり、習得したりする過程では、上達は費やした時間に比例するものでもありませんし、急に伸びることもあれば、停滞したり、逆にスランプに陥ってしまうこともあるものです。でもそうやって、いろいろ工夫しながら、努力を積み重ねながら、自分自身の力で何かをつかみ取れたときには、格別の喜びもあるだろうし、自分の自信にもしていくことができると思います。

 

人間は好奇心が旺盛な生き物だと言われています。

できるようになることが増えることは嬉しいことではないでしょうか? できることが増えていくことで、さらに自分がやりたいことを実現する可能性も高まるし、それができたら本当に楽しい時間が待っていると思います。その楽しい時間のためにも、少しこだわりをもって、できることを増やすために、細かいところまで徹底的に追究していくことも、私たちが本能的に持っている好奇心や探究心を満たしてくれることにつながるのだと思います。

 

血の通った音楽を奏でる

本当の「楽しさ」を楽しむためにも、「譜面に書かれていることを守ろう」と思うだけでなく、もう一度「私たちはこの曲を通してどんな思いを客席に届けたいのか」ということを考えてみることは、コンクールだからこそもう一度考えたいことのようにも思います。

作曲家は、なぜこの音符にアクセントをつけたのだろう?
ここは、なぜクレッシェンドがかかっていて、どこに向かっているのだろう?
スタッカートが表現しようとしている表情はどのようなものだろう?
p と書いてあるところは、どのような情景を表現したかったのだろう?

楽譜に書かれていることを演奏するとは、このように作曲家が譜面に込めた思いを読み解き、自分たちがそれをどのように表現するか、具体的なイメージを持って演奏するということです。

最近の吹奏楽譜はアーティキュレーションが丁寧に細かく書いてありますが、交通標識を守るように、決して「記号をそのまま守ればいい」というものではなくて、作曲家が意図した音楽のイメージを、音源を聞かなくても譜面を見ただけで演奏者にできるだけ忠実に表現してもらえるように書かれたものです。

私がトランペットを教えて頂いている荻原明先生が、ご自身のブログで「吹奏楽コンクール向けの指導などない、と思っています」というタイトルで記事を書かれていたのですが、その中で次のような記述がありました。

僕がやりたいのは常に「音楽」です。音楽とは作品を理解し、奏者がそれを聴く人へ届ける行為。音による心の伝達。そのためには「興味深さ」「知識を得ることの楽しさ」が練習に含まれていることが絶対に必要である、と考えます。

音楽はどんな時にも絶対に楽しくなければいけないので、練習も常に楽しくなければならないのです。

これと同じようなことを、私がずっと一緒に顧問をしている音楽の先生もよくおっしゃっています。音楽を専門的に学ばれ、音楽のことをよく知っているからこそ、「音楽は楽しいものであるべきだ」という言葉に重みを感じます。

今年のコンクールも結果を見たら生徒たちにとっても悔しいものだったと思います。でも、講評に「音楽的な演奏でした」「幸せな気持ちになれました。ありがとう」と書いて頂けたことは、たとえお世辞が入ったいたとしても、生徒たちには素直に受け取って、誇りに思ってまた頑張ってほしいと思いますし、指揮をされた音楽の先生が日頃から大切にされていることを生徒たちと実現し、聴き手に伝えることができたということは、本当に素敵なことだなと思いました。自分自身もこのような環境で顧問として生徒たちと音楽に向き合うチャンスを頂けていることには感謝でしかありません。

中学生の時にお世話になっていたコーチが「上手くならなきゃ面白くない」おっしゃっていたことを、今でもしばしば思い出すことがあります。言い換えれば、「上手くなって、やれることが増えたら、面白さはどんどん増えていく、楽しさも増していく」ということなのだと思います。

そのために、何をするべきなのか。

やはり、最初に目標となる音楽のイメージが必要なのだと思います。そして、それを実現するために必要なことを洗い出し、専門家の助言も得ながら、できることを積み上げて、目標に近づくことなのだと思います。

血の通った音楽が流れている演奏は、必ず人の心を動かします

そのことを忘れずに自分自身も本番に臨みたいと思いますし、生徒たちにも臨んでほしいなと思います。私もまだまだ勉強をしていかなくてはなと思いますし、何よりできるだけ時間をつくって生徒たちが活動している様子を見て、限られた時間の中で効率よく上達し、より音楽が好きになっていけるように頑張らなきゃなと改めて思っているところです。

また明日から生徒と一緒に頑張っていこうと思います。

(部内通信より)

 

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