なりたい自分を演じ切るために考えたいこと。

先日、学生の頃からお世話になっている吹奏楽団体であるSuperBandの本番が終わりました。

今年もソロを担当させて頂く機会に恵まれましたが、私は本当に本番が苦手で、緊張してわけがわからなくなってしまうので、今年もビクビクで本番を迎えました。

そこで改めて大事だなと思ったのが、「実現したいイメージを明確に持つこと」でした。

「イメージトレーニングが大切」ということは、どの分野においても言われることですが、実際に自分の理想の状態をイメージし続けることは簡単なことではないかもしれません。

よく「日本の若者は自己肯定感が低い」ということが話題になります。下に示すのは、2015年に国立青少年教育振興機構が発表した「高校生の生活と意識に関する調査報告書」にあるグラフです。

チャイルド・リサーチ・ネット(CRN)より

このように自己肯定感が低いという傾向は、「謙虚さであることが望ましい」と言われたり、「みんな同じ」であることが好まれるということも関係しているような気もします。

もちろん、傲慢にならず、謙虚であることは、自分自身を成長させていく上で大切なことです。しかし、必要以上に自分を低くみてしまうことは、時として成長をあきらめてしまう結果にもつながりかねません。

では「やりたいこと」「なりたい自分」を実現させるためには、どのようにイメージをつくっていけばよいのでしょうか?

 

そもそも自分の「〜したい」「〜なりたい」って何?


今、私は何がしたいのでしょう?

今、私はどんな自分になりたいと思っているのでしょう?

改めて尋ねられると、どのように答えてよいのか困る人もいるのではないでしょうか。漠然とした答えはあったとしても、人に胸を張って説明できるくらい、具体的な答えを明確に持っている人は、もしかしたらそう多くないのかもしれません。

「将来の夢は?」と聞かれても、恐らく幼稚園生や小学生の頃は「◯◯になりたい!」と言っていても、年齢を重ねるに連れて「それは現実的ではない」「そんなことを言ったら笑われるかも」などの理由から、だんだんと自分の中だけにしまい込み、やがて自分自身もその夢を忘れてしまうという、寂しい事態になることもあるでしょう。

生徒たちと話をしていると、「将来の夢」や「なりたいもの」=「職業」という構図で考えていることも少なくありません。

世の中にある職業は多岐にわたっていますし、子どもたちが知っている職業というのは本当に限られています。その中でなりたいものを見つける子どももいますが、知らないがゆえに何となく興味を持てなかったり、自分の興味や特性に気づいていないがためになかなか具体的にイメージがわかなかったりすることも多いように思います。

しかし、もっと時間軸を「だいぶ先の未来」から「今」に戻してみて、今の自分はどんなことが好きで、何をしているときが楽しくて、人や集団の中ではどのような立ち位置でいたいと考えているかなどを考え、自分の内面とじっくり向き合ってみると、今まで蓋をしてきた「自分の中にある本当の望み」というものに気づけたりすることもあります。

具体的には、まず「実現できるか」や物事の大小などは関係なく、とにかく「自分の好きなこと」「楽しいと思っているもの」「周りがどんな環境(状況)だとうれしいか」などを、無理矢理にでも書き出していってみます。そして、それを実現できている自分を想像して、理想の状態を明確に思い浮かべてみます。それがかなり具体的にイメージできたとしたら、それが本来自分がやりたいこと、なりたいものだったりするように思います。

「あこがれの存在」を意識してみることも、理想の自分を思い浮かべるときには得策です。実際になれるかどうかで考えるのではなく、「この人のこういうところがいいな」ということを思い浮かべてみることは、そのまま「なりたい自分」の一部をイメージすることにつながります

 

自分は何をしたいのか、どんな風になりたいのか。

まず一度立ち止まって、自分の中にある「望み」について、馬鹿げていると感じるくらい大きな望みから、すぐに叶ってしまいそうな「望み」と呼ぶには小さ過ぎるくらいの望みまで、いろいろ書き出してみることです。

「美味しいものが食べたい」「ゆっくり寝たい」「好きな人に会いたい」「とりあえず今日も無事に終わりたい」といったことでもいいのだと思います。まず自分がどんな事を考えているのか、自分の気持ちに素直になることで、次に進むためのヒントがもらえるように思います。

 

 

「目指すイメージ」は現実に触れることで明確になる

しかし、自分の中にあるイメージには限界があります。なぜなら、人間は自分が見聞きしたものしかなかなかイメージをすることが難しいからです。

ですから、手っ取り早く「目指すイメージ」をつくるためには、いろいろ体験してみることも必要だと思います。

たとえば音楽であれば、とにかくたくさんの演奏を聞いてみることです。できればプロの演奏を生で聞いてみる経験がとても大事だと思います。

もちろんプロはそれだけ時間も熱量もかけて練習してきているわけですから、容易く真似しようとしても真似できるものではありません。でも、自分の中での理想のイメージをつくるためには、プロの演奏を聴いて、その中で自分の好きな演奏を見つけて、「あんな風に演奏してみたい」という憧れの気持ちから、それを目指していこうとするのが、もっとも具体的なイメージをもつきっかけになりやすいと思います。

最近はYouTubeなどでも気軽にプロの演奏を聴くことができる時代になりましたが、逆に簡単に情報が手に入ったり、音楽を聞くことよりも面白いと感じることが増えたためか、以前に比べて生徒たちが音楽を聴かなくなった気がしています。そのせいなのか、以前は「先生、こんなふうに吹いてみたいんですけど」と自分のイメージを明確に持っている生徒も多かったのですが、最近は自分の練習している曲でさえ聴いていなくて、ただ音符を追いかけて練習しているという例も増えてきました。

これではまずいと思って、今必死に全部員でプロの演奏会を聞きに行く機会を作ったり、部活の時間中にCDを聴かせてみたりしてはいますが、「自分から聴きたい」という思いを引き出すところまではなかなかたどり着けていないような気がして、歯がゆく思っています。

音楽は本来能動的なものです。だからこそ、一人ひとりに「こうやって演奏したい」という主体性が必要です。それなしに練習をしていると、練習も義務感だけでこなすようになってしまうでしょうし、機械的に合わせていく作業になってしまいかねません。

どうにかして、一人ひとりが「目指したい音楽」をもって練習に臨めるように、これからも考えていきたいところです。

現実に触れてみること。それは子どもだけでなく、大人にも必要な体験です。自分自身も頭でっかちにならず、音楽だけでなく、いろいろなものに触れたり、観たり、聴いたり、感じたりする体験を、日々の生活の中に意図的に組み込んでいきたいものです。

 

「謙虚さ」とは何か?

冒頭部分で、日本の若者の自己肯定感が低い理由として、「謙虚さ」が原因の一つではないかということを書きました。では、そもそも「謙虚さ」とはどのような意味の言葉なのでしょうか?

「大辞林」第三版によると、「謙虚」とは、

ひかえめでつつましやかなさま。自分の能力・地位などにおごることなく、素直な態度で人に接するさま。

とあります。

他の辞書もいくつか調べてみましたが、いずれも「素直に他に学ぶ気持ちがあること」という部分が共通していました。確かに「謙虚さ」を感じる人は、そういう雰囲気がにじみ出ているなと感じます。

しかし実際には、ただ自分のことをへりくだって、表面上は自分を出さずに相手を立てるという”謙虚さ”を使っている人も多いですし、かくいう自分自身も、少なからずそういう部分があるように思います。

本当に「謙虚さ」を持ち合わせている人は、他の人から学べると思ったことは素直に受け取って、自分のものにする努力ができるものだと思います。だからこそ、さらに力を伸ばすことができますし、他人から嫌がられることもなく、一目置かれる存在になっていくのだと思います。

私の大学時代の後輩で、まさにそういう存在の後輩がいます。彼は、もともと楽器がとても上手だったのですが、決して奢ることなく、でも自分もしっかりもっていて、その上で先生や先輩に限らず、後輩からも学べることはどんどん学んで吸収し、今も会うたびに素敵な音楽を奏でるなぁと思っています。

彼を見ていて思ったのは、「謙虚さというものは、自己肯定感があってこそのものではないか」ということです。自分自身には、まだ成長できる伸びしろ、なりたい自分に近づける可能性があるから、そのヒントになることは積極的に受け入れてみよう、人からは素直に学んでみよう、と思えるのではないでしょうか。

謙虚でいるということ、謙虚さを持ち合わせているということは、決して自分を押し殺すことでもないし、自分を下に下げることでもありません。むしろ、自分の可能性を信じているからこそ、今の自分で満足せずに、いろいろ貪欲に、そして素直に人から学んでいこうとする姿勢のことを言うのではないでしょうか。

「なりたい自分」が見えてきたら、そこに近づいていくためにも「謙虚さ」は持ち合わせていたいものです。

 

「方法」は「求める結果」に応じて工夫するもの

「なりたい自分」が見つかって、いざ目指そうと思ったら、一番大事にしたいのは「求める結果」のイメージを具体的に持ち続けることです。

私もよくレッスンで一回吹いた後で先生から「どんなイメージで吹きたいと思っていますか?」と聞かれることがあります。いざ聞かれてみると、結構イメージが明確でないことに気づくことも多く、それを先生とのやり取りの中で具体化していくことで、演奏がどんどん良くなっていくことも多いです。

つい楽器の演奏でも勉強でも、「方法」ばかりが注目されて、本来の目的を見失ってしまうことはよくあることだと思います。

楽器の演奏であれば、呼吸法、構え方、アンブシュア、口の中のセッティングなどがあげられます。もちろんそれぞれのことを理解しようとしたり、考えて練習することは大事だと思いますが、「何のためなのか」を忘れてしまっては本末転倒です。

「方法」はあくまで、「なりたい自分」に近づくための手段に過ぎません

「なりたい自分」というゴールが明確にあるとするならば、そこに向かうための方法はいろいろあっていいのだと思います。それは人によっても違うでしょうし、時と場合によっても違ってくるものだと思います。その時々で、自分が目指すものを実現させるためにいいと思う方法を、いろいろ実験して試してみればいいのです。

「方法」にばかりこだわっていたら、下手したら「なりたい自分」にはずっと近づけないままかもしれません。本当に「なりたい自分」を実現させようとするなら、まずは自分自身をだましてしまうくらい、明確に「なりたい自分」のイメージを持って、そのためなら形振り構わずにいろいろやってみることなのかなと思います。

 

自分の特性を活かして、「なりたい自分」に近づく

話がいろいろな方向にとっ散らかってしまいましたが、まとめに入りたいと思います。

誰にでも、多かれ少なかれ、大なり小なり、長所や得意なことはあるはずです。人と比べてしまうと、「自分なんてどうせ」と思ってしまうかもしれませんが、自分自身の中には誰にでもいいところ、自分の強みになりうるものがあるはずです。決してみんな同じである必要はありませんし、人より秀でているかどうかなんて、関係ありません。

「隣の芝は青く見える」ということわざがあります。確かに人は、何か目標を立ててみたとき、人と比べて「自分には無理だ」と諦めてしまうこともあるかもしれません。でも、自分の人生は自分しか生きれないですし、自分は自分として生きていくことしかできないわけですから、それなら自分がやりたいと思うことを、できる範囲の中で精一杯やっていくしかないのだと思います。

みんな同じでなくてもいい。
みんな同じようにできなくてもいい。

それを分かった上で、自分自身が一番「こうあったらいいな」と思える姿を演じてみることで、もっと生きやすくなると思いますし、結果として「なりたい自分」に近づいていけるような気がします。

私もまだまだ邪念がたくさん降り掛かってきて、ちょっとええ格好しようとして、本番ではヘマばかりしていますが、もっと自分のしたいこと、表現したいことに集中していくことで、できるようになることも増えるのではないかなと思ったりもしています。

人生、いつでも発展途上。そう思って、また明日から「なりたい自分」を演じきれるように精進していこうと思います。

 

 

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