「1日休むと3日分下手になる」を考える。

しばしば「1日練習を休んだら3日分下手になる」という言葉が話題になります。

私自身、中高時代からよく耳にしてきた言葉ですし、そう思ってできるだけ毎日練習していました。1日休んでしまったときは、ものすごい罪悪感も感じたものです。

しかし、社会人になってから1日はおろか、酷いときは2週間以上も練習できないこともあります。でも、学生の頃より下手になっているかといえば、逆に上達しているとも思います。

以前にもこのテーマでブログを書いたことはあったと思いますが、身近なところで少し話題になったこともあり、今日は改めてこのテーマについてつぶやいてみたいと思います。

 

1日練習を休んで3日分下手になったとしたら?

「1日練習を休んだら3日分下手になる」という数字が根拠のあるものだとしたらどうなるでしょうか?

社会人で2週間に1度、楽団の練習のときだけ楽器に触れている人だったら、1ヶ月あたりでは次のような計算になります。

練習した日:2日
休んだ日:28日
下手になる量:28 × 3 =84 日分
1ヶ月あたり82日分下手になる

これが1 年続けば、82 × 12 ヶ月=984 日(2.7 年)、
10年続いたら 27年分下手になるわけですから、中高6年間毎日練習し続けていた人であっても、計算上は全く楽器が吹けなくなってしまうことになります。

しかし、実際にはこのくらいの練習でも実力を維持している方はもちろんのこと、続けていく中で上達している方もたくさんいらっしゃいます。

このように考えてみると、「1日練習を休んだら3日分下手になる」という言葉には根拠があるとは思えないでしょう。

自転車だって、乗れるようになるまでは大変かもしれませんが、一度乗れてしまえば、しばらくぶりに乗っても(筋肉痛になったりはしますが)乗れなくなることはありません。

楽器の演奏も同じことで、一度体に染み込んだ感覚というものは、そう簡単には失われないものだと思います。

 

なぜ「1日練習を休んで3日分下手になる」と言われるのか?

この言葉の元となっているのは、ピアニスト・作曲家であり、ポーランド首相も務めたパデレフスキという人が言ったといわれる、次の言葉だと考えられています。

一日練習を怠ると自分には分かる。二日怠ると批評家に分かる。三日怠ると聴衆に分かってしまう。

If I miss one day’s practice, I notice it. If I miss two days, the critics notice it. If I miss three days, the audience notices it.

 

確かに練習を怠っていると、マウスピースを唇に当てたときの違和感があったり、指が上手く回らなかったり、持久力が低くなったりすることはあります。しばらく練習しているうちにそれらは解消されて元に戻るものの、毎日練習している時と比べたら、少し遠回りをしてしまうことにはなるかもしれません。

しかし、「練習を怠る=下手になる」という意識を持つあまり、精神的に追い込まれるような状況になってしまっては本末転倒です。

バデレフスキの言葉が「1日練習しないと3日分下手になる」という言葉に変換され、流通している一番大きな理由は、指導者や親の「練習をさせたい」という思いでしょう。

練習をしたがらない子どもに「1日休むと3日分下手になっちゃうよ!」とはっぱをかけて練習をさせようとする場面はよく見かけます。私自身、言われたことも言ったこともありますが、きっとそういう意味で使っていたのだろうなと思います。

一方で、大人の間でこの言葉が使われることはほとんどありません。

プロのように毎日練習できる人もいますが、アマチュアでやっている人の中には、楽団の練習に参加するだけで精一杯という人も少なくないですし、「1日休むと3日分下手になっちゃうよ!」などと言われたら、「じゃ、いつ練習すればいいんだよ!」と喧嘩のもとになってしまいかねません。

「1日休むと3日分下手になる」という言葉は、一種の脅し文句です。

この言葉に追い詰められて、「練習しなければ」という義務感で練習をし続けなくても、(上達のスピードはゆっくりかもしれませんが)上達できる道はあるのだと思います。

 

上達に一番必要なのは、本人の積極的な意思

1日練習を休むと感覚が鈍るところはあるとは思いますが、実際に楽器を使って練習していなくても、音楽を聴いたり、奏法について考えたり、イメージを作っておくことで、次の練習のときに活かして上達できることもあります。

しかし、普段全く自分で考えたり工夫したりすることなしに、人から指示されたことだけ何となくこなしているだけだったとしたら、1日休んだら忘れてしまうこともたくさんあるでしょう。「1日休むと3日分下手になる」という言葉が、部活でよく言われるのにはここが原因だと考えられます。

すべての部活がそうだとは言えませんし、最近はだんだんと改善されてきたところも多いと思いますが、部活(特に小中学校)で練習を進めていくのは顧問やコーチなど大人であり、その大人の言った通りにすることが良しとされる風潮があるように思います。

そのような環境の中では、自分で上達のために何をすればよいのかを考えることよりも、いかに「先生の言うことに従うか」ということに重きが置かれてしまいます。それが続いていくと、自分の意見を持つ暇もないでしょうし、自分の意見を持っても潰されてしまうくらいなら初めから考えないようにしようという思考にもつながっていく気がします。

自分の積極的な意思で練習をしていない場合、「なぜできるようになったのか」「なぜできなかったのか」ということを探究することも少なくなってしまいます。すると、毎日体に刷り込ませ、染み込ませて教えたことを忘れさせないようにするという、少し強引な方法を使って上達させるほかありません。

もちろん毎日練習して体に染み込ませていくこと自体は悪いことではありません。でも、それが本人の積極的な意思の伴っていないものだったら、非常に効率の悪い方法です。ましてや、それを長時間・長期間に渡って行い、思考力停止の状態で物事をこなし続けるのは時間の無駄としか言えません。

本当に自分自身が上達したいと願っていて、楽しくて仕方がなかったら、毎日でも練習したくなるものです。

子どもに練習させたいと願うときには、まず「練習したい」と思えるような目標だったり、環境だったりを整えてあげることを考えてみたらいいと思います。すぐには響かないかもしれないし、結局響かないかもしれないけれど、1人でも興味を持って「やってやろう!」という気持ちにできたら大成功です。焦らずに、「練習=楽しいもの」と感じられるような工夫を考えたいものです。

 

練習をするときに大切にしたいこと

練習をするときには、ただ闇雲に楽器を吹くのではなく「研究」「実験」という過程が大切です。これは楽器の練習に限らず、勉強でも仕事でも、何かを上達させたり向上させたりしようとするときには、どのようなことにも当てはまることだと思います。

ちなみに、楽器の上達には「研究」と「実験」が大切であるということは、実際に多くのプロ奏者から話を聞きますし、私がトランペットのレッスンをしていただいている荻原明先生もレッスンのときによくおっしゃっていることです。
※荻原先生のアプローチについては、noteで連載している「技術(テクニック)本」の中に「1-2 練習と研究・実験」という記事があり、そこに詳細が分かりやすくまとめられていますので、興味のある方はご覧ください。

学校の授業でも、どんなに分かりやすく教えられても、どんなに有用な知識を教えられたとしても、興味を持って聞いていなかったら「馬の耳に念仏」になってしまうことは多々あります。また、教わったことを自分で身につけようとしなければ、知識としてあったとしても、自分自身で実践することはできないということも生じてきます。

人から教えられたもの、特に自分が信頼している人から教えられたものというのは、それが正しいと信じやすいものです。しかし、誰かにとって良いものは、あくまで「その人の私見で良いと考えられるもの」であって、必ずしも自分に当てはまるものではないこともありますし、自分自身で納得できるまで噛み砕いていかないと、自分のものとして使えないものであることも多いです。

私も大学は理工学部化学科でしたので、学生時代は実験三昧、レポート三昧の生活を送っていました。毎週のように手書き30枚の実験レポートが2本要求される3年生の頃や、結果が出るかわからない実験を夜な夜な続けた大学院生時代を思い出すと、「楽しかったけれど、もう一度はやりたくない(できない)」と思ったりもします。しかし、そんな生活の中で今も役立っていることをいくつも見つけることができた気がしています。

1つ目は、「失敗から考えること」です。

実は、学生実験のように既に結果がわかっている実験については、実験がすんなりと成功してしまうより、失敗した方がレポートの考察が深めやすいということがあります。成功すると、実験原理をそのまま肯定して「〇〇したら××が起きて△△が生成することが証明された」というような考察で終わっていまいますが、失敗した場合には「〇〇したら××が起きて△△が生成するはずだが、■■が生成した。これは☆☆が起きたためだと考えられる」というように、うまくいかなかった原因を考える必要が出てくるため、よりその実験内容を深く考えるきっかけになるのです。今でも生徒にレポートの課題を出すときには、「実験が上手く行かなかったら、考察には説得力のある言い訳をたくさん書いてね」と話すことがあります。実験は、必ずしも思うような結果が得られるとは限りません。でも失敗は決して“ダメなこと”ではなく、次に進むためのヒントや踏み台にすることができるものだということを、徹底的に仕込まれたなと今では思っています。

アレクサンダーテクニーク教師のバジル・クリッツァー先生も、昔書いた私のブログを引用して次のようなツイートをされています。

 

2つ目は、「自分で面白いと思って挑戦してみること」です。

何でもかんでもやっていいわけではありませんでしたが、大学院生時代は比較的自分でやってみたい実験をやらせてもらえる環境にありました。初めは教授に勧められて始めたテーマでしたが、文献を読んでみたり、自分で工夫してみたり、自分の興味につなげて考えてみたりしていく中で、そのテーマがとても愛おしく感じるようになり、修士2年生の終わり頃には、『自分のテーマ』として自身を持って人に説明できるものにすることができました。もちろん、実験は上手く行かないこともたくさんありましたし、思ったようなデータが得られないこともありました。でも、どうしたら思うようなデータを取れるのかと考えてみたり、「恐らくこの条件が神経細胞死の原因につながっているのではないか」と読み取れるようなデータを見つけられたりしたときはとてもワクワクしましたし、このまま研究者になりたいと思ったこともあります。

このように、自分自身で面白さを見つけて、失敗の中に次につなげられるものを見つけたり、いろいろな可能性を試してみたりしていくことは、とても楽しいものです。

これは、決して人から与えられ、受け身でやらされているうちは、なかなか感じることができないことのようにも思います。もちろん、始めは受け身だったけれども、やっていくうちに自分からもっとやってみたいと思えるものに変わってくることもあります。しかしいずれにしても、ただ与えられたものをこなすよりも、自分自身で考えて、試して、振り返って、改良して、また試して、振り返って…と繰り返していく中で、できるようになるものもたくさん増えていきますし、そのサイクルを楽しめる人が、結果的に上達も早いのかなと思ったりします。

下図は少し前にもブログで取り上げた図ですが、受け身でいると左の「現状でありがちな練習」になりがちで、1日練習しないだけで忘れてしまうことも多くなる傾向が強くなると思います。

できたら、右の「上達のためのサイクル」が回せるように、奏者自身も、指導者も意識的に「実験と研究」を練習に組み込んでいくことが求められるように思います。

 

まとめ:自分の中にある「研究心」を大切に育てる

「自分で考えようとしない思考停止の練習ではなかなか上手くなれない」ということがある一方で、真面目に根詰めて頑張りすぎても行き詰まってしまうことがあります。

はじめは頭をフル稼働させていたとしても、それが長期間休みなしで続いたら、脳が疲れて思考力停止になってしまうからです。自分であれこれ考えながら練習に取り組んでいる人にとっては「1日も休まないと、3日分上達が遅くなる」もあり得る気がします。

その場合には、少し休んで、素敵な音楽を聴いたり、いい景色を見たり、美味しいものを食べたりしながら、感性を磨く時間をつくることも必要な時間のように思います。

毎日考えて練習していても、上達を大いに感じられる日もあれば、行き詰ってしまう日もあるものです。下のグラフは「トランペット情報ネット」に掲載されていた『成功曲線』です。

このグラフのように、実際には「1日練習したら、必ず1日分上達する」とも限りません。水前寺清子さんの『三六五歩のマーチ』にあるように「3歩進んで2歩下がる」を繰り返しながら、一歩一歩前に進んでいくものなのだと思います。

 

自分からも探究することを楽しむ気持ちがあるうちは、毎日やろうが、休み休みやろうが、遅かれ早かれ少しずつでも上達できるものだと思います。

「1日休んだら3日分下手になる」という言葉に追い詰められて無理に練習を続けるのだったら、1日くらい休んだ方がいい気がします。

大事なのは、「目的(目標)を持って、具体的に何をするか明確にして、実験をしてみる」という気持ちで練習に望んでみることのように思います。それでうまくいったことは、また定着させるための練習を重ねていけばいい。そこに「1日休んだら3日分下手になる」という呪縛はいりません。

自分の中にある「研究を楽しむ心」を大切に育てていきながら、じっくり楽器と向き合っていきたいし、子どもたちにもそうなって欲しいなと思います。

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