辛く厳しくないと吹部じゃない?! ~楽しく厳しく上達するために必要なこと~

音楽でも何でも、一定できるようになるにはそれなりの努力が必要です。なかなかできるようにならないことでも、「できる」ということを信じて、「できた自分」をイメージして練習を重ねていくことは絶対に必要な事だと思います。
でも決して根性論的な「やらされる」努力ではなく、「こうなりたい」という望みに基づいた積極的な努力が真の実力になるような気がします。厳しく辛いだけの練習は「音が苦」になるだけ。やりたいからとことんやる、そんな音楽をしたいと思うのです。
最近SNSなどでの投稿をみていると、「辛く厳しくないと吹部じゃない」、「体育会系じゃないと吹部じゃない」、「根性で楽器を吹こう」といったニュアンスの投稿がしばしばみられます。しかし、果たして本当にそうなのでしょうか。
私の周りには、これまでの吹奏楽の慣習のよいところに敬意を抱きながらも、「軍隊式の教練は一時は効果があるかもしれないけれど、長い目で音楽を通して人を育てると考えたら、少し違うように思う」と感じている先生方も少なくありません。
子どもたちは素直です。吸収力もあります。
だからこそ、独裁的な指導者がいて、指示されたとおりに演奏できるように練習すれば、一定素晴らしい演奏をつくり出すことができるようにも思います。
しかし一方で、「指示待ち」の姿勢をつくってしまうことは、子どもたちの中に本来あるであろう「こんな風にしてみたい」という好奇心を封じ込めてしまうことにつながりかねません。
先日、とある高校生から相談を受けました。
「パートリーダーとセクションリーダーをしているので、アンサンブルなどの練習をするとしきる役目は私なのですが、自分より耳がいい人がいるんじゃないか、ほかの人には私の音楽の作り方が合わないかもしれない、と不安になりながら練習を進めてしまいます。リーダーの練習の進め方でアドバイスなどありましたら教えて欲しくDMさせていただきました」
このような悩みを抱えているリーダー役の生徒は実際かなりいるのではないでしょうか。
これに対して、自分は次のように返信しました。
「司会進行役としてのリーダーの役割は大切だと思いますが、自分一人で仕切ろうと思わずに、みんなから意見を募って、互いに意見を出し合いながら練習を進めていけるように促していけるとよいかもしれません。円陣になって順番に気になるところをやってみてもいいと思いますし、一回一回気になったところを互いに指摘しあうようにすると、みんなで音楽をつくっていく連帯感も生まれやすいですし、一方的にならずに、みんなが何を考えているのかとか、どんな音楽をやりたいかがお互いわかってくるかと思います。初めは難しいかもしれませんが、試してみる価値はあるかと思いますよ」
それに対し、この高校生は次のように返信をしてくれました。

「確かに、一人で注意しなきゃ、注意する場所を探さなきゃ探さなきゃって、粗探しばかりしていた気がします。明日からみんなにも思うことを聞いて練習してみようと思います!」

恐らく、普段から指導者ができていないところをダメ出しして、それを直していくという練習法をとっているのかなと推測しました。そのやり方が決して“悪”だとは思いませんが、「ダメな所を直す」という思考では行き着く所に限界があります。一方で、みんなでアイディアを出し合いながら、「つくり出していく」という姿勢で音楽をつくっていくと、一人一人に責任感も生まれますし、自分のアイディアが活かされれば嬉しいものだし、建設的に楽しく練習ができるとおもうのです。
先日浜松で開催されたバンドクリニックに参加しても思ったことですが、いわゆる「強豪校」の先生方ほど勉強熱心だし、音楽のことをよくご存知だし、生徒一人一人のことをよく見て指導をされているように思います。テレビで一部放映されているようなことを形だけ真似てもダメ。指導者がどんな風に生徒を育てたいかというビジョンが必要なのだと思います。
今ではこんなことを言っているけれど、学生時代は誰よりも体育会系根性ラッパ吹きでした。だから、あのノリ自体は嫌いではないのですが、結果として自分を苦しめる音楽との関わり方をしていたなと思います。義務感で吹いていることも多かったし、吹けないことに劣等感を感じて、楽器を触るのも嫌になることも多々ありました。
それがアレクサンダーテクニークに出会って思考が大きく変わりました。確かに自分は下手かもしれない。でも、思い切り自分の出せる力を出し切って、その場の音楽を楽しんでみる。そう考えるようになって、今は本当に吹くのが楽しいし、難しい曲がきても「無理だ~」と初めから諦めずに、何とか頑張ってやってみようという気持ちになることができました。
BODY CHANCEメソッド教師のバジル先生(@BasilKritzer)が次のようなツイートをされていました。
マラソンならくじけたり、辛かったりも競技の一部かもしれない。でも音楽を演奏することが辛い、苦しい、痛いのは何かがおかしい。それは音楽の一部ではないから。そう理解すると、努力は常にハッピーな方に方向づけられるべきだと分かりスッキリできるね。
厳しさは必要かもしれません。でも、辛い、苦しい、痛いと思いながら音楽を奏でるのは私もどこか違う気がします。音楽を奏でる全ての人、特に中高の吹奏楽部員が楽器を吹くことが心から楽しくて、みんなで音楽をつくりあげていくことに喜びを感じられる、そんな世の中になっていったらなと願うばかりです。

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