自分の歌をうたう!

先日、大学時代お世話になった北村源三先生のリサイタルを聴きに行ってきました。

源三先生の演奏は、「魂の叫び」というか、トランペットを演奏するというよりも、トランペットを使って心の丈を歌っているようで、今まで音楽に懸けて生きてこられた生き様のすべてがそこに詰まっているかのようでした。きっとそこが源三先生の魅力なのだろうなと改めて思いました。オルガンの重厚な響き、聖堂に響きわたる音楽、本当に至福の時でした。

プロの一流の演奏家と並列して書くことはおこがましい気もするのですが、音楽は作曲者がこめた思いを今この瞬間に表現するだけでなく、自分自身の心の声を表現するものでもあるように思います。今日は、「自分の歌をうたう」というテーマでつぶやいていきたいと思います。

 

人間には「歌う遺伝子」がある

先日Twitterのタイムラインで、次のようなツイートが流れてきました。

ツイートの主は高校生。若い世代の人たちが、純粋に上手いとか下手とか関係なく、自分自身が感じる音楽、好きだという気持ちを大切にしながら音楽を、演奏を楽しもうとしているのだなと思うと、目の前の生徒たちと照らし合わせながら、自分もまだまだ頑張らなくちゃなとすごく励まされました。

このツイートの中に、気に入ったフレーズがいくつかあります。

一つは人間には歌う遺伝子があるんだよ。歌う快感は誰にでもある』というところです。太古の昔、今のような楽器も譜面もなかった時代から、人間は歌を歌ったりり、リズムに乗って踊ったりしてきました。どんなに歌が苦手だったり、踊るのが苦手だったとしても、根本には誰でも歌ったり、音楽に合わせて体を動かしたりする力が本来備わっているものです。

「下手だから」「上手くできないから」という理由で歌や踊りから遠ざかってしまう人もいるでしょうし、自分の感性に合う音楽に出会えずになかなか興味がもてない人もいると思いますが、「歌う快感は誰にでもある」というのは本当だと思います。

私の父は音楽とは全く無縁の人間です。むしろ家で音楽を聴いていると「うるさい!」と怒られてしまうくらいでしたし、中学校の音楽のテストで譜面を見て曲名を答える問題は「音の上下をグラフ化して暗記して覚えた」という逸話の持ち主です。

そんな父でさえも、お風呂に入って上機嫌になると、大きな声で歌を歌い始めます。決して上手ではありませんが、とても気持ちよさそうです。どんなに口では「嫌いだ」と言っていても、一人ひとりの中に思い出の音楽はあって、歌う快感、歌う遺伝子というものはあるのだなとその時思いました。

「私には歌心がない」と思うこともあるかもしれませんが、人それぞれ自分の中に歌心はあるはずです。そのことを心の片隅において、自信をなくさずに自分の音楽と向き合えたらいいのかなと思います。

二つ目は『好きな気持ち、上手くなれること、こう演奏したいという気持ちを「信頼して」音に感動した日を思い出して』というところです。自分自身が感じていること、そうなりたい、やりたいと思っていることを信頼することができるか。「上手くできないんじゃないだろうか」「こんな風に演奏できないかもしれない」など、自分が望んでいる方向と逆の気持ちを抱くことはよくあることだと思います。それでも、自分が望んでいることにただ純粋に向き合って、「好きだからやる」「やりたいからやる」ということを自分に許してあげるだけで、素直に音楽を楽しむ気持ちを思い出すことができるようになる気がします。

初めて楽器を手にした日のこと
初めて音が出た瞬間のこと
初めてステージで演奏した時のこと
初めてお客様に拍手をもらった時のこと

なかなかできなかったフレーズができるようになった時のこと
いつも怒られてばかりだった先生に褒められた時のこと
仲間と息がぴったり合ったハーモニーをつくれた時のこと
自分で「こう演奏したい」と思うものに近づけたと感じた時のこと

長いこと音楽を続けている中で、誰にでも音楽をやっていて良かったという喜びを感じる瞬間があることと思います。その喜びをどこかで求めているからこそ、もしかしたら私たちは音楽を続けているのかもしれません。辛いとき、あきらめたくなったとき、そんな喜びの瞬間を思い出すことで、自分の本当の望みを信頼して一歩を踏み出してあげることができるかもしれません。

三つめは、『楽曲に秘められた「歌」を見つけて、それを自分の「歌」と照らし合わせて、演奏する』というところです。作曲者の思い、作曲された背景やストーリーはもちろんあります。自分勝手に解釈するだけではいけないと思います。しかし、目の前にある音楽を自分はどのように感じていて、どのように歌いたいのか、それは演奏する一人ひとりによって少しずつ異なるものなのだと思いますし、それが生で音楽を聴く楽しみ、様々なアーティストの演奏を楽しむ面白さにもつながるのだと思います。

基本的な約束事は守る必要はあるし、暗黙のルールにもまずはしたがってみることも必要かもしれません。ただそこから自分の色をどう出していくか。一人ひとり感じ方も性格も好きなものも違うからこそ生まれてくる「色」の違い。それを楽しむことも音楽の楽しみのようにも思います。

私が通っているアレクサンダー・テクニークの学校であるBody Chanceでは、一人ひとりがどんな望みを持っているのか、どんな風に奏でたいと思っているのかを大切にしながら先生がアクティビティを見てくださいます。自分でテーマをもっていないと何を教わっていいのか分からないこともありますが、それだけに自分が何をしたいのかということをよく考えるようになりました。受け身で何かを教わるのではなく、一人ひとりが学びたいことを出し合って、互いに学んでいくことで、奏でたい音楽をより自由に奏でられるようになっていくのが素敵なところだなと思っています。そして改めて、「やりたいこと」に注目することはとても大事なことだなと日々感じています。

 

「自分の歌をうたう」ためには?

「自分の歌をうたう」と一口に言っても、自分の歌とは何か、どう歌えばいいのか、ということはアマチュア、特に楽器を始めたばかりの中高生には難しいことかもしれません。自分自身、偉そうに言うことはできませんが、やはり大切なのは「プロの演奏をたくさん聴いてみること」だと考えています。

プロの演奏家は、音楽を専門的に勉強し、技術や表現を追究し、自分の奏でたい音楽を聴かせるために必死に努力を重ねています。そのようにしてつくりあげられた音楽というのは、まさにその音楽家の生き様が表れるような、聴衆の心に響く演奏だと思います。

それをそのまま真似して、同じようにやれというのはおこがましい話かもしれませんが、「あんな風に演奏できたらいいな」「あんな素敵な音に近づきたいな」という憧れは、練習のモチベーションにもなりますし、「もっとこんな風にしたい」という望みを持つきっかけにもつながるはずです。

はじめはモノマネになってしまうかもしれません。もしかしたらレッスンで先生に言われた通りにやるので精一杯かもしれませんし、自分で頑張って表現したつもりでも「それは違う」と言われてしまったり、うまく伝わらなかったりすることもあるかもしれません。

でも、それはきっと自分が憧れているアーティストも多くの場合、初めは同じだったのだと思います。それでも音楽が好きで、聴いたり、演奏したり、他の様々なものからインスピレーションを受けたりしながら自分の歌を見つけ、試行錯誤を繰り返しながらその歌をつくりあげていくことができるようになっていくのだと思います。

世の中にはたくさんの音楽があります。
世界中にはたくさんの素晴らしいアーティストがいます。

その中から自分が何か感じるものを見つけることで、自分の歌に気づくことができるはずです。聴くこと、感じることを大切に、たくさんの音楽に包まれながら自分の歌を探し続けていけたら、きっとその人にしかうたうことのできない自分の歌をうたうことができるのだと思います。

 

まとめ

理想とするもののイメージが具体的に持てているか。

明確にやりたいもの、なりたいものが見えてくると、人はそこに近づくために頑張ろうと思えるものです。音楽はやらされるものでも、やらなければいけないものでもありません。自分の中から湧き出てくる「自分の歌」を大切に、それを表現するのに必要なあらゆるファクターの精度を高めていくのが練習なのだと思います。

自分の歌=自分の人生

いろいろな経験を積み重ねる中で、自分の歌は変わっていくこともあるでしょうし、磨きもかかっていくもののように思います。自分の人生は自分のもの。もちろん、他のたくさんの人たちに支えられながら自分は存在しているわけですが、自分が自分であることをつくっていけるのは自分だけです。自分の歌をうたうことができるのも自分。そのように考えてみると、自分の歌にも、自分自身にもまだまだたくさんの可能性が残されていることがわかるかと思います。

上手くなくてもいい。
ミスのない演奏でなくてもいい。
自分が真剣に準備して、目の前の音楽と本気で向き合っているか。

せっかく音楽という素敵なものに出会ったわけですから、自分自身の人生を自分らしく生きていることの証として、自分の歌をいつも思い切りうたっていけるように頑張っていこうと思います。

 

 

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