コンクールメンバーの選出について思うこと

コンクールメンバーをオーディションで選抜する学校も多いと思う。私自身も高校時代はそれに近いものがあった。コンクール直前に部室にメンバーが貼り出される。その紙を見て、一喜一憂したものだ。
1年生のとき、A組のメンバーに選ばれて喜んでいたら、先輩に「うかれるんじゃない」と怒られたことがある。そこには選ばれなかったメンバーもいた。そこに配慮できなかった自分を恥じた。むしろ選ばれた責任を持って全力を尽くすことが自分にできることなのだとそのとき胸に深く刻まれた。
お互いを認め合い、切磋琢磨して高め合いながら、全力を出しきった上での競争ならよいかもしれないけれど、足を引っ張りあったり、それが元で仲違いするようなものになるのであれば、オーディションが持つ本来の意味とは大きく外れてしまうように思う。
出場メンバー数に上限がある限り、出られる、出られないという問題が生じるのも仕方がないことかもしれない。でもだからこそ、部活全体の結束力は大切だと思うし、出られないメンバーも含めてみんなで音楽をつくりにいくのだという意識は忘れないようにしたい。あくまで同じ志を持つ部活の仲間なのだから。
確かにコンクールは結果が出るものだし、少しでも上手に演奏できる、もしくは調和がとれるメンバーを選ぶのは当然のことかもしれない。でも、楽器が上手いだけで、それを鼻にかけるようでは心からの音楽を客席に届けることはできないように思う。それなら少し下手でも熱意があって、バンド全体にいい影響を与えてくれるメンバーを自分なら選びたい。
コンクールに出るからには上を目指したいと思うことは当然のこと。でも、その結果に執着するあまりに人を蹴落としたり、バカにしたりする雰囲気がつくられるのであれば、それは教育の場で行われる行事ではないと思う。
音楽をやる上で、敵となるのはウィルスと口内炎くらいなもので、楽器も、一緒に奏でる仲間も、目の上のたんこぶみたいなライバルも、調子の悪い自分も、難しい譜面も、自分を成長させてくれるかけがえのない大切なものだと思う。敵だと思うものをいかに味方にしていけるか。そんなものの考え方一つで音楽はより楽しいものになっていくはずだと思う。
そんなことを生徒たちにも伝えていける指導者でありたい。今、そんな風に強く思う。

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