吹奏楽コンクール考④ ~目標をどのように設定するか~

「吹奏楽コンクール考」も第4弾にまできてしまいました。
今日のブログでは、「目標をどのように設定するか」ということについてつぶやいていこうと思います。
コンクールにはどうしても「結果」がつきまといます。
「全国大会金賞」という“最高の結果”を目指して、全国のバンドが日々練習に向かっています。
でも、コンクールの究極の目標は何かときかれたとき、それは単に全国大会で金賞をとることではないと思うのです。自分たちにできる最善を尽くした上で、奏でたいと思う音楽を奏で、聴き手の心をつかむ演奏をするということ、つまりいつも目指していることと相違ないのではないでしょうか。
もちろんたゆまぬ努力をして、結果を残しているバンドはすごいと思うし、コンクールそのものを否定するつもりはありません。でも、コンクールの時期だからこそ、音楽を奏でる上で一番大切なことを忘れないようにしたいし、心に刻み続けたいと思うのです。
中学の時のコーチの言葉で「上手くならなきゃ面白くない!」というものがあります。確かに自分の思うように奏でたい音楽を自由に奏でられたら面白いし、心から楽しいと思うことができます。そのためにはある意味で厳しい練習を積み重ねることも必要です。でも厳しさが辛さになったら、やっぱり先にあるのは音楽ではない気がするのです。
厳しくても本当に自分が欲していることであれば、辛いとは感じないはずです。辛いことを耐えて頑張るということは、本当はそのことを欲していないのかもしれないと一度立ち止まってみることも大切なことです。本当の楽しさとは、厳しささえも楽しみに変える力を持っているように思います。
でも、「できなくて悔しい!」と思う気持ちに代表されるような負けず嫌いは悪いことではありません。自信を持つことも大切なことです。でも、誰かに何かに勝つために音楽をやっているわけでもないし、自己満足するためだけに音楽をやっているわけでもありません。ただそこに奏でたい音楽があって、聴かせたい相手がいる。それだけで幸せなことだと思うのです。
互いを認めあえて切磋琢磨できる仲間が身近にいるのはとても恵まれたことだけど、足を引っ張りあったり、互いを傷つけあってしまう関係になってしまうのは避けたいところです。コンクールの結果でも同じことがいえると思います。音楽が競争の手段となり、聴き手よりも審査を重視するようになったら考えものではないでしょうか。
残念なことに、自分が最善を尽くした以上の演奏はできません。本番で自分の持っている力以上のことは残念ながら出せないのです。もしできたとしたら、できる能力がもともと備わっていたということです。他人がどう評価しようと、自分が最善を尽くしたのであればそれでよしとする。それが大事なことのように思います。
夢や目標は刻々と変わっていくものです。それは自分自身がいろいろなものを見聞きし、体験し、いろいろな人の中で考えをもまれていく中で成長していった証拠でもあるのです。でも、その一方でいったん決意した信念というものはとことんまで貫いていきたいものです。信念なき目標はやがて破綻するように思います。
逆に信念さえもっていれば、夢や目標が揺れていったとしても、人としてぶれることはありません。信念を貫くには自分自身の可能性を信じてあげることが大切です。自分を信じることはやさしいようで難しいけれど、いろんな自分をゆるして、受け入れてあげられるのもまた自分しかいないのだと思います。
結局のところ、夢や目標を叶えていくのは自分でしかありません。他人まかせだったり、他人が何かを成し遂げることを夢とするのは、夢の押し売りにしかなりません。確かに他人がその人自身の目標を頑張って成し遂げていく姿を見るのは嬉しいし、応援もしたくなるものです。でも、自分の夢や目標とすり替えてはいけないと思います。
コンクールについても同じことが言えます。「全国大会金賞」という目標を究極の目標とするのではなく、自分が奏でたい音楽を自分なりに精一杯奏でることを目標にできたらと思います。もちろん中途半端な気持ちでは臨めないところですが、本気でやれば、「賞」という結果よりも大切なものをたくさん得ることができると思います。
そんなことを思いながら、コンクールに向けて全力投球できたらよいなと思います。
(Twitterまとめ)

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