自分の中にいる完璧主義者と向き合うこと

ここのところ、改めてアレクサンダーテクニークの学びをやり直してみようと思い、Self Quest Labo で勉強をしています。

その学びの中で、自分自身と向き合っていくことで、自分の中にある完璧主義の人格についての気づきがあり、その背景にある自身の歴史や、それを今度どのように活かしていけばよいのかを考える時間がありました。

そのような時に、ちょうどバジル先生が、次のようなツイートをされているのを見かけました。

これらの思いが全て悪いわけではないと思いますが、これらが原因となって知らず知らずのうちに自分に無理を強いて負担をかけてしまうことも多いように思います。

自分の中にいるこんな思いを抱えた人たちを受け入れながら、そうじゃなくても大丈夫だよと言ってあげられることも必要だなと。そして、自分が本当にしたいこと、大事にしたいことに正直に生きられるように、自分自身の面倒を見てあげられたらいいなと。

今日はそのあたりのことについて考えてみたいと思います。

 

なぜ、完璧主義が生じるのか?

完璧主義になる要因はいろいろあると思いますが、自分自身をたどってみると、「目の前にあることに自信を持てないけれど、失敗して誰かに責められることも避けたいから、隙を与えないようにガードを固めよう」とするために完璧主義を発動してきたような気がします。

なぜ、そのような思考にたどり着いたかを紐解いていくと、小さい頃からの自分の特性に原因がありそうだなと思いました。

特に小さい頃は、
・物が片付けられない
・じっとしていられない
・時間を守ることができない
・忘れ物が多い
・何かに熱中していると、他のことに気が回らない
・自分の気持ちを言葉で表現することが苦手
という傾向が強かったため、親からも学校の先生からも「しっかりしなさい」「きちんとしなさい」と注意されたり、自分の気持ちを友達に上手く伝えることができずにケンカになったり、相手を傷つけてしまったという経験が非常に多かったということがあげられるように思います。

今いろいろ学んでいくと、恐らく発達障害の傾向があったのだろうと思うのですが、30年前はまだそういった認知がほとんどない時代ですから、周りの人たちも扱いや接し方に困っていたところはあるのではないかなと思います。

そうした経験もあって、自分の場合は、自分自身を守るために、できるだけ人に注意されないように、失敗しないようにという思考が強く働くようになったのかもしれません。

そして、ミスなく完璧に物事をこなせば、人に注意されるどころか、褒められたり、感謝されたりすることもあるわけですから、いつの間にか完璧主義者でいることが、自分自身にとって居心地の良いものになっていったようにも思います。

しかし、その反面、本来の自分の「雑さ」や「適当さ」を必死に隠しながら生き続けていくことは非常に息苦しいものです。「人からどう思われるか」という気持ちにおびえながら、何か前向きに自分のしたいことを取り組んでいくことは難しいこともあります。

 

本当に自分にとって大切なものと向き合う

アレクサンダー・テクニークを学ぶ中では、結果や何らかの刺激に対して無意識のうちに行っている心身の習慣「抑制」し、不必要なものを取り除くことで、自然に適切な心身の反応を導き出すことも学びます。

「抑制」というと、抑え込まれたり、何かを禁止するようなイメージが強いですが、ここでいう「抑制」はあくまで、「不必要なことをやめる」ということであり、受け身で無関心になることとも違います。

それと同時に、これまでの習慣から離れて、新しい方法に自分をシフトしていく時には、意図的に「方向づけ」をして、自分のしたいことを達成する最良の手段に近づいていくことも必要になってきます。

何かに取り組もうと思ったとき、「それは本当に必要なことなのか」と自分自身に問いかけ、自分の行動をていねいに観察し、必要なものを選び取り、意識的に必要なことをし続けていくことで、結果として不必要なことが減り、習慣によって塗り固められる前の本来の機能を効率的に使っていくことができるようになるのだと思います。

 

私は、とにかく人の目も気になるし、怒られたくないし、失敗したくないしという思いが強すぎたためか、昔から本番で必要以上に緊張してしまい、本番が苦手で「練習は好きだけど、本番なんて来なければいいのに」と思ってきました。

でも、アレクサンダー・テクニークを学ぶようになって、少しずつではありますが、失敗することや、怒られることを恐れずに、「今自分にできる音楽を精一杯やればいい」と思って本番を迎えるようになりました。

その結果、必要以上に体が萎縮したり、パニックになって訳が分からないミスをしたり、といったころが格段に減り、結果的にできることも増えて、本番が楽しく感じるようになってきました。

まだ、失敗することも、怒られることも怖いし、意識していないと、それらの気持ちに自分が押し潰されそうになってしまうこともあります。でも、それは長年自分を作り上げてきた習慣でもあり、かんたんに立ち去ってくれることはありません。

でも、「自分が本当に大切にしたいことは何か」「それを実現するために必要なことは何か」ということを、自分自身をていねいに観察していって向き合う中で明確にしていくことで、本来の自分が持っているポテンシャルを引き出して、もっと成長していけるのではないかとも思っています。

 

長年作り上げてきた習慣も、自分の一部。
自分を守り続けてくれて来た最強の防具。

それも決して存在していてはいけないわけではなくて、「今は出てこなくていいよ」とちょっとお休み頂いて、本当の自分らしさをサポートしてくれる新しい習慣を少しずつ身につけて、その更新を重ねながら、一歩一歩進んでいけたらと思います。

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