興味がなくても、関心はもてる

今日、勤務校で卒業式が行われました。そこで紹介された卒業生の言葉の中に、「興味がないことでも、関心をもってみることで、たくさんのことを学ぶことができた」というものがありました。

普段「興味」と「関心」という言葉は「興味・関心」のようにまとめられがちで、あまり使い分けることも無かった自分にとって、その卒業生の言葉を聞いたときには閃光が走るかのような衝撃を覚えました。

ということで、今日は「興味」「関心」という言葉について考えてみたいと思います。

 

そもそもの意味は?

いろいろな辞書を調べてみましたが、多くの辞書で「興味と関心は同じ意味で用いられる」という主旨の記載がありました。

ただ、日本大百科全書(ニッポニカ)で「興味(interest)」を調べてみると、冒頭に次のような説明がありました。

ある対象(事物や活動など)についての積極的な選択の構えを関心といい、それに好きという情動的な心的状態が加わったものを興味とよんでいる。

これに基づいて考えてみると、

関心:何か特定のものに意識を向けようとする気持ちのこと

興味:何か特定のものに好意的な思いを持って意識的になること

というように考えられるかもしれません。

 

興味のないものに関心をもつとは?

一般的には、興味のないものには関心はもてないと感じるでしょう。私もそう感じていました。

しかし、上記のように「興味」と「関心」という言葉を定義してみると、それが実現できるかもしれないと思えてきます。

例えば、あまり好きとは言えない科目の授業。お世辞でも「興味がある」とは言えないでしょう。でも、「意識を向けてみる」ということは頑張ればできることもあるように思います。

もちろん、あまり好きでもないことに意識を向けることはキツいかもしれませんし、無駄な時間に感じるかもしれません。何より、無理して意識を使うことにエネルギーを使う必要もないと思います。

ただ決して積極的な気持ちでなかったとしても、例えば「興味はないけれど、自分は面白さを知らないだけかもしれない」「自分の教養を広げるために、仕方ないけど聞いてみるか」というような動機であったとしても、何か特定の対象に対して意識を向けてみることはできるようにも思います。

そして、そうした意識の向け方をしていく中で、自分の興味をひくようなものに出会えることもあるでしょうし、自分の興味につなげられるようなことを知ることができることもあるような気がします。

 

まとめ:「関心」を持つことは可能性を広げること

「どんなことに対しても関心を持たなくてはならない」と考えると息苦しくなってしまいますが、もし少し自分の中に余裕があったり、今の自分に閉塞感を感じていたとしたら、とりあえず目の前に降ってかかってくることに関心を持ってみることもいいのではないかなと思います。

もしかしたら、食わず嫌いかもしれない。
もしかしたら、化学変化が起こるかもしれない。

とりあえず、「好き」じゃなくてもいいから、「関心」を持ってみる。それは”内容に対する関心”に限らず、「なぜこの人は◯◯に対してこんなに熱心なんだろう?」という”人に対する関心”や”疑問”であってもいいのだと思います。

そのように意識を向けていく中で、自分の興味だけでは出会えなかった事柄や人とたくさん出会って、自分の人生をより豊かなものにできたら儲けものです。

私自身も、普段の生活の中で「興味」はあまり持てないことであっても、「関心」をもって触れていくことで、自分自身を育てていけたらなと思うし、生徒たちにも「関心」を持てる材料をたくさん振り掛けていけたらなと思います。

本当に生徒からは学ぶことがたくさん。学ばされてばかりいます。

これからも生徒からはたくさん学びつつ、自分の学びを生徒たちに還元していけるように頑張っていこうと思います。

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