先日、次のようなツイートをしたところ、たくさんの方の反応を頂きました。
「部活を辞めたい」と思う多くの理由は、音楽や楽器そのものにあることは少ないように思います。大人数で音楽をつくっていくのだから、必ずしも自分が思うようになるとは限りません。でも、我慢を重ねて、頑張らなきゃと自分を追い込んだ結果、音楽や楽器まで嫌いになってしまうのは悲しいことです。→
— おのれー (@rapparapa18) February 11, 2019
私も吹奏楽部の顧問になって15年、自分自身が部員だった頃も含めると30年近く吹奏楽部やオーケストラ部に関わっていますが、「部活を辞めたい」と自分自身が思ったことも、誰かから相談されたことも幾度となくあります。
全員入部強制の地区もあるようですが、自分の通ってきた道は完全に希望制。部活に入らなくてもいい選択肢もありますから、多かれ少なかれ何らかの興味や期待があって入部した人が殆どだと思います。それでも「辞めたい」と思ったり、実際に辞めてしまった人もたくさんいます。
それだけ「組織を辞める(辞めたい)」というトピックは、私たちに身近なものなのかもしれません。今日は、「部活を辞めたい」と思っている中高生や、「部活を辞めたい」と相談されている方に向けて、今自分が考えていることをつぶやいてみたいと思います。
|部活は辞めてもいい
はじめに認識しておきたいことは「部活は辞めてもいい」ということです。
高校入試の内申書、大学入試の調査書をちらつかせて「辞めるな」と言う大人もいるかもしれません。確かに2020年の大学入試改革では、「学力テストだけでなく大学のアドミッション・ポリシーに沿った多様な経験を積んでいることが望ましい」と、推薦入試だけでなく一般入試でも調査書が重視されると言われています。
しかし、大事なのは「所属していたこと」「役職についていたこと」ではなく、「そこでどんな経験をし、自分でどのように考えて行動してきたか、それを今後の学びにどう生かしていこうと思っているか」というところです。これは私が推薦入試の面接練習で必ず伝えることでもあり、一般企業の人事部で新卒採用の担当をしている友人も言っていたことです。
確かに少しかじっただけですぐに辞めてしまう人は、「また次もすぐに辞めてしまうかもしれない」と思われることはあるかもしれません。でも、人生は一度きり。チャンスがあるならば、自分にどうしても合わないと思うところで苦しみながら頑張り続けるよりは、いろんなことに挑戦して、本当に自分が自分らしく生きていける道を探してみた方がいいこともあるのだと思います。
ただ大事なのは、「辞めるか辞めないかは自分で決断する」ということです。
誰かに言われたからとか、誰かに流されて、というのは後で後悔につながり、うまくいかなかったことを誰かの責任にして、自分自身が前に進むことができなくなることもあるからです。
「部活は辞めてもいいもの」
まず自分の中でそう思って、選択肢を広げてあげることです。その上で、もう少し頑張ってみようと思う気持ちがあるのならば、続けるためにできることを考えてみて、少しずつ行動につなげていけばいいのです。「絶対に続けなければいけない」と選択肢を狭めるよりも、やるべきこと、やりたいことが見えてくるように思います。
|部活を辞めたい理由はどこにあるのか?
これまで自分自身を振り返ってみても、友人や生徒からの相談を思い返してみても、部活を辞めたい理由に「楽器が嫌い」「音楽が嫌い」というものはなかったように思います。
逆にどんなものがあがっていたかというと、
- なかなか上達しない
- 先生(コーチ)や先輩が怖い
- 仲間とうまくいかない
- 部活が目指している方向性が違う
- 部活の雰囲気が良くない(合わない)
- 勉強との両立が難しい
- 親に辞めろと言われた
といったことが多かったように思います。
今顧問をしている部活でも、相談される時には前置きとして「楽器を吹くことは楽しいのですが…」と言われることが殆どです。そして、部活につなぎ止めている最大の要因は、「楽器(音楽)は楽しい」「仲間とは離れたくない」というものであることが多いように思います。
しかし、そのまま無理をして続けてしまうと、楽しかったはずの楽器を触るのも嫌になったり、音楽を聴くことさえ苦痛になったり、仲の良かった友人の顔を見るのも嫌になってしまったりすることもあります。
実際私も、仲間とうまくいかなくなって、周りからも責められることがたくさんあって、音楽や楽器がそれを連想させてしまい、楽器を吹いていてもイライラするし、音楽が流れているのも辛くて全く聴かなくなった時期がありました。
あんなに好きだったトランペット。
あんなに好きだった音楽。
辛いことがあっても、楽しいことがあってもいつも傍にあったもの。それがここまで苦痛なものになってしまった。そう思ったとき、涙が止まらなくなりました。
そこまでいってしまうと、一番傷つくのは自分です。
そして、そこまで行く前に止めることができるのも、自分だけなのだと思います。
では、どうすればよいのか。
それは一筋縄ではいきませんし、答えも一つではありませんが、まず初めに確認したいのは「何が要因で自分は辞めたいと思っているのか」ということを徹底的に洗い出すことです。
辞めたいと思う理由は、実際のところ複雑に絡み合っていることが多いです。
勉強が理由だと思っていたけれど、実は仲間とあまりうまくいかなくなっていたということが大きかったということもありますし、雰囲気が合わないと思っていたけれど、実はなかなか上達しない自分にイライラしていたということもあります。
まずは、自分がどのような状況に置かれていて、どんなことが嫌だ(辛い)と思っているのか、それは自分自身の力でどの程度改善できるものなのか、自分と同じように感じている仲間はいないか、自分の悩みを共有してくれる人はいないかなどを客観的に書き出してみることです。
本当に辛いとき、苦しいとき、客観的になることは本当に難しいことだと思います。そんなときはまず、自分の中にあるありったけの思いを、ノートに書きなぐっていくのも一つの方法です。
とにかく、自分の中にある思いや考えを、いったん可視化してみることは、次のステップに進むときに大いに役立ってくれるかと思います。理由が明確になり、対策が具体的になれば、部活を続けたいと思うこともあるでしょうし、辞めるにしても前向きな気持ちで、自分自身の選択として辞めるという選択をしていけるようにも思います。
|「みんなで合わせる」は「個性を押し潰す」ことではない!
吹奏楽はいろんな楽器が集まって演奏するスタイルですから、部活でも複数のメンバーを擁する”チーム”として活動していることが多いと思います。
「チーム」とは、デジタル大辞泉によると、“ある目的のために協力して行動するグループ” と定義されています。一人ひとり得意なものも苦手なものも育ちも考え方も違う。そんなメンバーが集まって、互いの持ち味を出し合いながら、一人ではできないことをみんなで達成していく。それが吹奏楽やオーケストラ、合唱はもちろんのこと、野球やサッカーなどのチームスポーツの醍醐味の一つです。
そうしたチームをつくっていくときに、吹奏楽部でよく言われることに、「一つにまとまる」「みんなで合わせる」ということがあげられると思います。
これ自体は合奏をする上でも大事なことですが、解釈を間違えてしまうと、これが非常に厄介な言葉になりかねません。
次にあげるのは大げさな例もありますが、「一つにまとまる」「みんなで合わせる」ために、起きてしまうと考えられることです。
- 専制君主制のように一人ひとりの意見が封じられる
- 細かい規則で縛り付ける
- 目立たないように隠れる
- 自分の意見を引っ込める
- 失敗がバレないようにごまかす
- 失敗を誰かに押し付ける
- 上達が遅い子を責める
- 自己表現が苦手な子を「やる気がない」と責める
- 大多数の意見に合わない子を排除する
- 足の引っ張り合いをする
このように、「チーム」が「村」となり、いわゆる「村八分」にされるメンバーが出てきてしまったり、そうならないために自分のことを押し殺してまわりに合わせようとしたり、ということが残念ながら起きてしまうこともあるように思います。
合奏でいう「合わせる」「まとまる」は、決して自分を押し殺したり、誰かを排除したり、足を引っ張り合ったり、専制君主的に支配したりすることではありません。
吹奏楽やオーケストラの響きというものは、一人ひとりが意思をもって発した音が重なり合い、調和して生まれるものであり、決して誰かにつくってもらったり、一人ひとりが自分を押し殺してつくるものではありません。それだけに、一人ひとりが安心して自分を出せたり、互いに失敗をカバーし合えるようなチームづくりが求められるのだと思います。
一人ひとりが違う。
だからこそ、いろんなアイディアが湧いてきたり、自分たちにしか出せないハーモニーをつくれたりするのです。
もし、自分が足を引っ張っているのではないだろうかと思ったり、仲間がそのことで悩んでいたりしたとしたら、そのことを思い出して欲しいなと思います。
|「逃げるのは負け」じゃない!
少し話が脱線してしまいましたが、部活を辞めたいと思う大きな理由に「同調圧力」というものはあるのだと思います。「チームの一員だから、こう思わなくてはいけない」この思いが、苦しさや辛さを産み出していることも少なくないような気がします。
でも、そんなことはないのです。
誰もが、自分の気持ちを表現する自由を持っています。
それでも辛くて心が破裂しそうになったら、誰かにSOSを出したり、いったんその場から離れてみたりすることも必要なことで、決して悪いことではありません。
気分転換に遊びに行ってみたり、ひたすら勉強する時間にあててみたり、自分の音楽性や技術向上だけに集中する期間があっても良いのだと思います。
私も部活から離れたいと思ったとき、旅行に行ってみたり、新しいことを始めてみたり、いろいろ挑戦してみたことがあります。でも結局、やり始めたことも、新しく出会った人も音楽に結び付いていき、「やっぱり自分は音楽が好きなのだな」と痛感しました。
音楽も楽器も、部活でなくてもやろうと思えばできます。卒業してしばらく離れていても、やっぱりやってみたいなと思って久々に始めてみる人もたくさんいると思うし、そのまま青春時代の思い出の一つとして心にしまう人もいると思います。
音楽も楽器も関わり方は人それぞれならば、部活に対する考え方も人それぞれです。
誰かに自分の考えを強制しようとしたり、誰かの考えに従おうとしたら、うまくいかなくなることは当然あることです。
悩んだり、辛くなったりするのは、自分が真剣に考えている証拠。一生懸命、現状を変えたいと思っているからこそ悩むのだし、目の前に思い通りにならないことがあるから辛くなるのだと思います。
そのまま頑張り続けていたら、知らぬうちに自分が潰れてしまうこともあります。目標に向かって諦めずに頑張ることは素敵なことだし、何かを達成するには必要なことである反面、自分の中に余裕がなければ頑張ることはできません。
「気持ち良く頑張る」ために、時には「頑張らない」選択もあります。それは決して悪いことではありません。自分が自分らしく生きていくための充電期間も時には必要なのだと思います。
ドラクエでも、「たたかう」「ぼうぎょ」の他に、「にげる」というコマンドがあります。
HPが少ないときに「にげる」のは、冒険を進めていく上で大事な作戦の一つです。宿屋や道具、呪文などで回復して、もう一度戦いに挑み、経験値を重ねていく。そんな風にしてゲームは進んでいきます。
ドラクエだったら、登場人物が死んでも復活できますが、現実世界ではそうはいきません。本当に自分自身を追い込んでしまう前に、「にげる」を使うことは必要な選択肢であり、誰にでも「にげる」コマンドは用意されているということを、みんなが共通認識としてもてているとよいのではないかと思います。
その上で、また体力や気力を回復したところで、「たたかう(前向きに頑張ってみる)」コマンドを選んでみることもできるでしょうし、気持ちよく好きなことに向かっていけるような気がします。
|おわりに…
部活を辞めたいと思うことは誰にでも起こりうることです。できればそう感じないような楽しく、上達が感じられるような部活であればいいと思いますし、自分もそのために頑張らなきゃと思うことばかりです。
でもこの「頑張る」という言葉は便利である反面、具体性に欠けるため、方向性や度合いの違いが生じて、足の引っ張り合いになったり、誰かを追い込んでしまうこともあります。
私もうっかり「頑張って」と言ってしまうことがありますが、もう目一杯頑張って、助けを必要としている相手にただ「頑張って」と言ってしまうのは本当に酷なことなのだと思います。
目標を誰かと共有するときには、具体的に”何を、どのような方法で、どれくらいずつ、いつまでに実行するのか”考えたいものです。
これからも「辞めたい」と相談してきた生徒がいたときには、その気持ちを受け止めつつ、何をどうするか具体的に一緒に考えて、一人ひとりの決断したことに対して、そっと背中を押してやったり、頑張りを支えていけたらなと思います。