「合奏が楽しくない」を考える。

先日、以下のツイートをしたところ、かなりの反響があったので、今日は「合奏が楽しくない」、さらには「部活が楽しくない」という声に対して考えたことをつぶやいてみたいと思います。

「合奏が楽しくない」原因は?

私も最近、生徒たちが「合奏が楽しくない」と言っているのを耳にすることが増えました。今まで単に耳に入らなかっただけなのかもしれませんが、確かにアンサンブルなどでは生き生きと演奏している生徒でも、指揮者が顧問、生徒問わず合奏になると、あまり楽しそうにしていないなと感じることが増えました。

せっかく入った吹奏楽部。やるからには楽しい方がいいはずです。しかし、楽しめずに退屈な時間だけが流れているとしたら、とてももったいないことですし、顧問としては申し訳ないなと思います。

どうしたら、楽しい合奏になるのだろう。

どうしたら、合奏を楽しめるようになるのだろう。

そんなことを考えていたとき、ふとつぶやいてみたのが冒頭のツイートです。引用RTしていただいた方の中には「まさにこれ」「わかる」という声も多く、改めて「合奏が楽しくない」と感じたことのある方が結構な数いるんだなということが分かりました。

しかし同時に「毎回上手くできているか不安を抱えながら運営している」「自分も気を付けなければ」「どうすればいいのだろう」と悩みを抱えている指導者の方も多いようでした。

実際のところ、どんなときに「合奏が楽しくない」と感じるのでしょうか。

自分自身を振り返ってみたとき、次のようなことが思い浮かびました。

  • 指揮者がしゃべっている時間が長い
  • 指摘だけされて、できるようになった(前より理想に近づいた)実感がない。
  • ひたすら怒られ続ける
  • 他のパートがつかまっていて、ほとんど吹いていない
  • 人がいなさすぎて、合わせている実感がない
  • 曲がどうも好きになれない
  • 一緒に演奏しているメンバーとの関係性が良くない

こうやって考えてみると、奏者自身の気持ちの持ちようでどうにかなりそうなものから、指揮者が改善する努力をする必要があるものまで、実に様々な理由があるものだなと思いました。

もちろんこの他にもたくさんあると思いますが、少し考えてみただけでもこれだけあがるのだから、この問題の根深さは限りないものなのかもしれません。

でもだからといって、そのままにしておくこともできない。

どうすればよいのでしょう・・・

 

人はどんなときに「楽しい」と感じるのか?

あなたはどんなときに「楽しい」と感じますか?

改めて問われてみると、意外と返答に困る方もいらっしゃるのではないでしょうか。私自身、「楽しい」ときは本当に楽んでいるのですが、後から振り返ってみたとき、何に対して楽しかったのかと考えてみると、なかなか言語化できないこともあるなと思っています。

でも、少なくとも下の条件のどこかに入っていることは多いのではないでしょうか。

  • 好きなことをしているとき
  • 好きなものと触れ合っているとき
  • 気の合う人と一緒にいるとき
  • 自分の意思が否定されたり、存在が脅かされない環境にいるとき
  • 上に挙げたことを想像したり、もうすぐそれが実現しようとするとき

このように考えてみると、「安全・安心」な環境にあることが、「楽しい」という感情を持つ上で共通して必要なことのように思います。

どんなに好きなことでも、「安心・安全」が保証されていなかったり、自分の意思が全く反映されないような環境だったりしたら、「楽しい」とは思えないはずです。

そのように考えると、「合奏が楽しくない」と言われてしまうのは、生徒(奏者)たちにとっての「安心・安全の場」を作り出せていないからとも言えますし、それでは一人ひとりが主体的に音楽をつくりだしていくことなどできるはずがありません。

あぁ、部活をそんな場にしてしまっているのか・・・申し訳なさがあふれてきます。

 

「合奏を楽しくする」ためにできること

ではどうしたら、「合奏を楽しくする」ことができるのでしょうか。

ここではまず、指揮者の立場から考えてみたいと思います。

1. 自分が音楽を楽しむこと
前に立っている人間がつまらなさそうだったり、ピリピリしていたり、心ここにあらずだったりすると、その雰囲気は全体にも伝わるものです。奏者に楽しんでもらいたいと思うなら、まず自分自身が演奏しようとする曲のことをよく理解し、目指したい音楽を明確に持ちつつ、音楽を共につくれることへの喜びを表せるとよい気がします。

2. 目指すものを奏者と共有すること
とはいえ、指揮者がひとりよがりになって、自分の思いだけを一方的に伝えていては、奏者は冷めてしまいます。中高生に対しては、ある程度「教える」という要素が必要なことも多いかもしれませんが、奏者が置いていかれないように、また奏者の意思が無視されないように、互いの理解や思いを確認しながら進めていくことが大事だと思います。その日の目標、その週の目標などを具体的に示すことも、「何を大切に練習に臨むか」を共有できてよいかもしれません。

3. しゃべりすぎないこと
言葉にしないと分からないこともありますし、大人数に理解してもらうためには、いろんな言い方をして説明する必要があることもあります。また、何かしらの意図を持って合奏を止めたとしても、ただ「もう一回」と言ってやり直すだけでは、奏者は何が気になったのかも分からないこともありますし、どう改善すべきか分からず、かえってつらい時間になってしまうこともあります。

ただ、無駄にしゃべりすぎて奏者に思考停止の時間が生まれてしまったり、情報量が多くなって何が大事なことなのか分からなくなってしまうことは問題です。一回止めたら、できれば“一つのことだけ簡潔に伝える”くらいのつもりでいるとよい気がします。

4.奏者に気付きを促し、良いところを引き出すこと
いわゆる「ダメ出し」ばかりしていると、奏者の中には「自分はダメなやつだ」と自分を責めはじめたり、「怒られないようにしなきゃ」と自分を隠そうとしたりする人も出てきます。もちろん必要な指摘はしなければなりませんが、「ピッチ悪い」「タテずれてる」「音色汚い」といった否定形で伝えるのではなく、「今のところで気になったところはありますか?」「ここはどんな風に演奏しようとしていますか?」など、”指揮者もここは気にしているところなんだ”ということにまず気づいてもらい、奏者が自分自身の音や周りの音をよく聴くように促せたらよいと思います。

また、奏者自身が「こんな風にしたら良くなるんだ」ということに気付き、つくっていきたい音楽に近づいていく可能性を実感できるように、少しでも良くなったらそれをさりげなく伝えるだけでも、気持ちを前向きにできるように思います。

5. できるだけ全体で進行すること
合奏の醍醐味は「みんなで合わせること」だと思います。一人ではできないこと、出せない音、つくれない音楽が、大勢集まることによって実現していく。それが楽しいし面白いところのように思います。ですから、一人ずつ吹かされたり、特定のパートだけ長い時間つかまってしまったり、個人練やパート練などでもできる練習に合奏の時間を長く使ってしまうと、退屈に感じてしまう人も多くなってしまいます。

もちろん、できていなかったり、気になったりするところを妥協してただ流せばいいというわけではありません。もし特定のパートの練習をする必要があったら、他のメンバーが暇にならないような工夫、例えばテンポに合わせて手拍子をしてみたり、スコアを渡しておいて自分ならどのように改善するかを考え、発言してもらうなど、みんなで合奏をつくっている雰囲気をつくることもしてみるとよいかと思います。

それでもどうしても特定のパートが引っかかってしまい、それが原因で合奏の流れが止まってしまうこともあるでしょう。その時には、練習方法を示したうえで、時間を決め、別の部屋で練習してきてもらうという方法もあるかと思います。これを「合奏を追い出す」と捉えてしまうとまた別の問題が生じてしまいますが、「個人練習の時間を確保する」という意味をきちんと伝えることができたら、決められた時間、集中してその場所を練習することでできるようになることも多いですし、全体の流れを止めずに効率よく改善していけると思います。

ちなみに私は、以前教えて頂いていた方のアイディアをまねして、別の部屋で練習してきてもらうときにはキッチンタイマーを渡して、”できてもできていなくてもアラームが鳴ったら戻ってくる”という約束でやっています。たまたま購入したのが犬のタイマーだったので、「ちょこっと犬と頑張っておいで~」と送り出しています。

 

指揮者として工夫できることはこれだけではありませんが、一方的にならずに、常に奏者が頭を使って、その場に参加できるような雰囲気・環境づくりは絶対に必要です。試行錯誤しながら、目の前の一人ひとりに合わせて、一緒に合奏をつくっていきたいものです。

 

「楽しくない」ことを「楽しむ」ためのコツ

さて、次は奏者の視点から考えてみたいと思います。

「楽しくない」ことを無理に楽しもうとすることはないと思いますが、思考の転換で楽しめる可能性があるならば、楽しめた方がよいことも多い気がします。

下にあげることは、部活の雰囲気によっては実現が難しいことかもしれませんが、少しでも何かのヒントになれば幸いです。

1. 他のパートも吹けるようにしてしまう
他のパートがつかまって暇になってしまうことがあったら、耳コピでもスコアを見ながらでもよいので、先に自分が吹けるようにしてしまうくらいのつもりで、こそっと練習をしてみるのもありでしょう。他のパートがどのようなことをやっているのかの理解にもつながり、全体で合わせたときにも周りの音がより聴けるようになると思います。

2. パート練をさせてもらえないか願い出る
大学時代のホルンの先輩で、弦楽器が長い時間つかまっているときや、逆にホルンがしばらくつかまったときに、「◯時までパート練してきてもよいですか?」と指揮者に願い出る先輩がいました。もちろん、指揮者の裁量ですし、合奏の時間なのだからそんなこと…と感じる方もいらっしゃるかとは思いますが、場合によってはありなのかなと思います。あらかじめ指揮者にいざとなったらそれもよいかどうか確認しておく方がよいかとは思いますが。

3. 自分が指揮者だったらどうするかを考えてみる
怒られ続けたり、指示がよくわからなかったり、話が長かったり、他のパートがつかまっていたりしたとき、「もし自分が指揮者だったらどうするだろうか?」と考えて、客観的に指揮者のことを見てみたり、合奏全体をとらえてみると、意外と見えてくることもたくさんあります。さすがに自分が怒られているときにそんなことを思う余裕はないかもしれませんが、自分の立場を別に置いてみることで、怒りの感情はスルーして、指摘されている中身だけ受け取る習慣も同時に身に付けることができるように思います。

4. 全体の良いところ探しをしてみる
つい暇な時間が長くなると、全体のあら探しを始めてしまうこともあるような気がします。また、メンバーとの関係性が悪かったりすると、そのことで頭がいっぱいになってなかなかその場にいたくないなと感じることもあると思います。

そのような時には、意図的に「良いところ探し」をしてみるのも一つの方法です。気分が乗らないときにはついネガティブな思考が自分を支配しがちですが、少しでも、どんなに小さなことでもよいから「良いところ」を見つける努力をしてみると、自分自身の思考がポジティブなものに変わることもあります。もちろん、どうしても気分が乗らずにそれができないこともあると思いますが、もし「少しでもこの場を楽しく過ごしたい」と思うのであれば、試してみる価値ありだと思います。

 

まとめ

「楽しい」という気持ちはあくまで人それぞれ。その人その人の中にある感情だけに、別の誰かがコントロールできるものでもありません。

ただ、多くの人が合奏を楽しいと感じられるかどうかは、指揮者にかかっていると思います。音楽をよく理解し、やりたいことが明確で、言語化もできるし、指揮で表現することもできる。そして、その場で流れている音をていねいにキャッチする耳を持ち、実現するための練習方法も知っている。そこまでできる指揮者の合奏はきっと楽しいものでしょう。

指揮者は、その場にいる奏者一人ひとりの貴重な時間を預かっている。

そのような意識のもとに、準備を怠らず、誰よりもその場を大切にできたらよい気がします。これを実行するのが実際は難しいところでもありますが、その意識を持つだけでも変わっていける気がします。

その上で、奏者一人ひとりも指揮者の指示に従う受け身の姿勢ではなくて、「自分はどうしたいのか」という思いをあらかじめ持って合奏に臨めるとよいと思います。受け身でやらされているときは、人は楽しさを感じにくいものです。ましてや、合奏で音を出すことができるのは奏者の特権でもあります。その時間を、「指揮者につくってもらおう」とお任せしてしまったら、合奏の楽しさは半減以下になってしまうと思います。

合奏は指揮者も奏者も共につくりあげていくもの。

指揮者も奏者も互いにその思いをもって、合奏の時間を大切にしていけたらよいなと思います。

 

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