音楽は「流しそうめん」のようなもの

「ミスはダメなことではない」「失敗しても地球の終わりは来ない」といったことを書くと、「音楽はそんなに中途半端なことではない」「適当にやることを推奨しているのか」とお叱りを受けることもあります。

もちろん、中途半端にやったり、いい加減に取り組むことがいいことだとは決して思いません。どこか投げやりだったり、無理にやらされているくらいならやらない方がましなのではないかとも思いますし、いつでも音を外したりミスをすることを積極的に推奨しているわけではありません。

ただ、本気で一生懸命やっていても、自分の思い通りにならないことはあることです。人間ですから、100%成功し続けるということもあり得ません。トッププロであっても、完全にミスのない演奏をすることは難しいことだと思います。本気で自分の頭の中に鳴っている音楽を完璧に表現したいと思うからこそ、起きてしまった失敗はその場では許してあげて、次に意識を向けることが大切だと思うのです。

 

|音楽は「流しそうめん」のようなもの

先日、こんなたとえ話を聞く機会がありました。それは、

「音楽は流しそうめんのようなものだ」

というたとえです。

流しそうめんは、どんなに頑張っても、流れていくそうめんを取りこぼしてしまうことがあるかと思います。でも、流れていってしまったそうめんのことを思って、それを取り返そうとしたところで、逆再生してそうめんがさかのぼってくることはありません。むしろ、流れていってしまったそうめんのことばかり考えていたら、次に流れてくるそうめんさえ、取りこぼしてしまいかねません。

反省会は全て終わった後で。その時に覚えていたことをもとにして、次に改善するために何ができるかを考えることは大切です。でも、流れていってしまったそうめんが何本で、何時何分に取りこぼしたのか、全て覚えていないのと同じで、全ての失敗が記憶に残っている訳でもないと思います。それを全てほじくりかえしてまでダメ出しをしていたら、気の遠くなる話です。

音楽も同じなのだと思います。

失敗しないように準備を重ね、心を決めておく必要はあります。あらゆる対策を練っておくことも大事です。しかし、いざ失敗してしまったとき、その失敗を引きずっていると、その後奏でるべき音楽に集中できなくなり、演奏全体が総崩れしてしまうことは良くある話だと思います。

頑張っているからこそ、失敗した時に自分を責めて、自分にとことんダメ出しをするのではなく、自分ができたこと、できるようになったことに注目し、それができるようになるためにどのような過程を踏んできたかを振り返ることで、上手くいかなかったことを克服するヒントにしていけたらいい気がします。

 

|自分の頑張りを評価しながら、少しずつパズルを完成させていく

それだけに、「上手くなったね」「良くなったね」といった褒め言葉をかけられたとき、つい謙遜したり、疑い深くなったりすることもあるかと思いますが、とりあえず素直に受け止めてみることも大切です。有頂天になってはいけませんが、たまには自分の頑張りを自分が正しく評価してあげることも必要なことです。

すぐに完成するようなパズルをやっていても面白くないもの。なかなか合うピースが見つからなくて、いろいろはめて試してみて、ようやく最後の1ピースがきれいにはまったときの喜びははかりしれません。途中で投げ出したら味わえない喜びを目指して、試行錯誤を重ねることも楽しみの一つだと思います。

完成したパズルも美しいもの。でも初めから完成されていたものだったり、すべてお膳立てされていて最後の1ピースだけはめるだけでは、その作品への愛着はそんなにわかない気がします。自分の手でやり遂げたからこそ、想いのこもったものができあがるはず。手間を惜しまずもの作りに励みたいものです。

すぐにできてしまう人もいると思うし、なかなか思うようにできない人もいます。でもその人なりにできることを少しずつ積み重ねていけばいいんです。挫折しそうになったら、始めたばかりの頃を思い出して、そこから少しでもできるようになったことを考えてみる。必ず成長した自分に出会えるはずです。

 

|まとめ

今までよりも吹けるようになると、練習するのが楽しくなるものです。ダメなところばかり注目して、理想との乖離に頭を悩ませるよりも、探究してやってみて、少しでもできるようになったことを楽しんで、さらに可能性を探っていく方が結果的には粘り強く頑張っていけます。挑戦する楽しさを大切にできるといい気がします。

私は最近とにかくラッパを吹いているのが楽しくてたまりません。下手でも下手なりにできるようになったことはあって、吹けるようになったこともあります。そんな少しの成長に気づくだけで、練習した後もまだ練習したいと思えるものです。生徒がそんな気持ちを持って部活をやれるようにしたいなと思います。

「音楽は流しそうめん」
もしかしたら、「人生も流しそうめん」のようなものかもしれませんね。

 

 

iQiPlus

音楽は「流しそうめん」のようなもの” への2件のコメント

  1. 正にその通りだと思います。フィギュアスケートも、途中で失敗しても、気持ちを切り替えて、果敢に次の技に取り組む姿勢に、涙が出ます。はい次、さあ次と、目の前のことに一生懸命取り組めば、失敗した人の方がスコアが良かったりします。そう考えると、ますます失敗が怖くなくなり、怖くなくなると、失敗する割合も減ってきますね。流しそうめんとは、本当にその通りです

    • コメントありがとうございます!演技を終えるまでは起きてしまったことよりも次のことを考えていくことで、挑戦する勇気が持てるものかもしれませんね。私もついクヨクヨして引きずってしまうのですが、この言葉を聞いて、少し気持ちが楽になりました(^^)

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