先生主導で生徒を服従させる方法では、長続きしない!

コンクール前、「先生が何目指してるか分からないんですけど、どうしたいんですか?!」と生徒に言われたことがあります。

その時はどうやら「みんなで金賞目指して頑張るぞ!」というような熱血先生に何でなってくれないのか、という思いからだったようなのですが、私は「ここはどう吹きたいの?」「みんなはどうしたいと思っているの?」とネチネチ質問攻めにしていたので、ゴールとなる目標がなかなか見えづらくなってしまっていたのだなと少し反省しました。

生徒の目指すものを支えて、実現するためにサポートしていくのが教員の役目。しかし一方で生徒に自分の思いを強制するでもなく、でも自分の夢や理想を伝えていくことも大事なことのように思います。

今日は、自主性を大切にするためにはどうすればよいのかを考えてみたいと思います。

 

部活動の主役は生徒である!

いろいろな考えがあると思いますが、私は部活の基本的な姿は『生徒の生徒による生徒のための活動』だと思っています。

熱血先生が引っ張る青春ドラマのような部活もありだし、憧れる気持ちも分かります。また、先生と共に音楽を追究していく過程で学びとることもたくさんあると思いますし、専門的な知識や技術を持った大人が、きちんと音楽やそれを実現するための楽器の技術を教えていくことも必要だと思います。また、子どもたちだけでは実現することができないことを、大人が手助けすることで実現し、世界を広げていくことも必要なことです。

でもやっぱり、自分たちの手で何か一つのものをつくりあげていく喜びや手応えを味わってほしいし、私たち大人はあくまでサポート役で、主役である生徒を追い越して前に出ていくのはちょっと違うよなとも思うのです。

アイディアを出したり、手助けをすることがあっても、最終的に「やる」「やらない」という決定権は生徒にある

もちろん、危険が及ぶこと、誰かが傷つくようなことは大人が壁となることも必要ですし、ただ生徒の言うなりにわがまま放題にさせればいいというわけでもありません。最終的な責任は顧問である教員が持たなければいけません。また小学校、中学校、高校と段階によってどこまで大人が介入していくかは異なるとも思いますが、子どもたちが好きで選んで入った部活動(中には強制されている地域もあるようですが)である以上、子どもたちが主役となって自分たちの手でつくりあげていく活動であるというところは大切にしたいものです。

 

 

先生主導で生徒を服従させる方法では、長続きしない!

極端な例かもしれませんが、コンクールや試合で手っ取り早く結果を出していくためには、やり方を知っている凄腕の先生が、生徒に絶対言うことをきかせて、徹底的に練習をし、先生の思い描く通りに活動をつくっていくのがよい気もします。しかし、それでは生徒にとって部活が「やらさらるもの」「やってもらうもの」になってしまい、そこでせっかく出会った音楽やスポーツが、与えられた環境がなくなってしまうとできなくなってしまい、その場限りのものになってしまうことも残念ながらあるようです。

最近どの部活でも、
「先生が教えてくれないから、できない」
「先生がついてれないから、やれない」
という声をよく耳にします。

確かに、顧問が練習について、しっかり教えることは大事ですし、それも仕事だと思います。大人が自分の夢や理想を語る姿を子どもたちに見せていくことも大切なことだと思います。初めから「自主性に任せる」と放置するのは無責任ですし、一定やり方を教えたり、一緒について練習や運営に関わることは必要なことです。私もそれができているかといえば、まだできていないと思いますし、力不足も感じます。

でも、教えてもらうだけもらっても、できるようにする努力を自分でしなければできないですし、誰かが付き添わないとできないというのは、義務感がなければできないということにもなるような気がします。

「あの科目は小テストがあって、追試にかかると面倒だからやる」
「あの科目は予習をしていないと先生が怖いからやる」
「あの科目の先生はやさしいから、やっていなくても許してくれるだろう」

これらの声もよく耳にする生徒の声です。当たり前のことといってしまえばそうかもしれませんが、「怖いからやる」「怒られないからやらなくてもいい」という状況のままでは、自分自身を本当に成長させることはできません。すべて全力でいつも頑張り続けなければいけないというわけでもありませんが、自分にとって何が大切なのかを判断して、自分の成長のために何をすべきかという基準で行動できるようにうながすのが教員の仕事のようにも思います。

どこか人任せな雰囲気になってしまうのは、手取り足取り教えようとしてしまう私たち教員にも原因があるように思いますし、強権的な指導がなくならないのも「怖いからやる」という生徒の心理を利用したものであり、根深いものがあるように感じます。

近年、教科の学習でも「アクティブ・ラーニング」が取り上げられ、教師が一方的に教えるのではなく、生徒たちが自ら学んでいくような授業づくりが推奨されるようになってきました。私は理科の教員ですので、もともと実験や観察など生徒が自分たちで活動していくような授業は多い方でしたが、数年前から「学び合い」という授業形式を、演習の授業などで取り入れるようにしています。

それまでは、生徒に問題を解いてもらって、黒板に書かせることはあっても、その先の解説は自分が一人でやってしまうことが多かったのですが、まず生徒たちがグループになって互いに話し合いながら問題を解き、最後にクラス全体の前で解説をするという流れをつくることで、それまでつまづいてしまってなかなか授業に参加できなかった生徒も、周りの生徒に巻き込まれながら頑張ってついてくるようになりました。

《過去記事》
『学び合い』の理科授業への導入実践報告 ~これからどう合奏に応用していくか~
http://rapparapa18.xsrv.jp/2013/10/20/manabiai/

最近は、スマートフォンをはじめ様々なメディア機器の普及により、子どもたちが自分で発信することや、自分で何かをつくりだす体験が容易になってきました。知識も、インターネットで検索すれば答えがすぐに見つかる時代です。このような時代に、一方的に教え込むような教育方法を続けていたようでは、子どもたちは飽きてしまうし、頑張って自分の力で何かしようという気にはなかなかならないような気がします。

だからこそ、どうやって子どもたちの「やりたい」という気持ちを大切に、子どもたちが伸び伸びと活動していくことができるかを考えていくことが求められているのだと思います。

 

失敗することを許して、いろんなものに挑戦する環境をつくる

先日、タレントでエッセイイストの小島慶子さんが次のようなツイートをされていました。

本当にその通りだと思います。大人が手を貸して、子どもたちがやりたいことを実現していくことは大切なことですが、いつしか部活までもが大人の言うことを信じて、大人の期待に応えるために行う活動になってしまっている部分もある気がします。もちろん、そうでない部活があるのも承知の上ですが、どこか「生徒の自主性」が失われていっているようにも感じます。

最近は「失敗すること」を極端に怖がる生徒も多くなってきました。大人が過度な期待を寄せたり、失敗を許さない雰囲気をつくりだしている面は否めない気がします。「生徒の自主性」を取り戻していくためには、失敗することも覚悟のうえで生徒の力を信じて任せること、委ねることも時には必要です。

トランペット奏者で、アレクサンダー・テクニーク教師を目指して勉強されている木下淳平さんが以前次のようなツイートをされていました。


失敗を責めて失敗させないようにするのでもなく、わざと失敗させてそこから学ばせようとするのでもなく、ただ成功にも失敗にもとらわれずに、いろいろなことに挑戦させること。やってみていいのだ、挑戦してみることは楽しいことなのだ、そのような安心して物事に向かうことができる環境を大人がつくっていけたらなと思います。

私は、遠回りしても、失敗することになっても、「自分たちの力でやり遂げた」と感じられるような経験ができるような部活を目指したいと思っています。つい「こうやればもっと効率がよいのに」と思ってうるさく口出しをしたり、ダメ出しをしてしまうこともありますが、できるだけ練習の進め方などについても、じっくり話し合って、子どもたちが目指したい方向へ少しでも近づいていくためにはどうすればいいかを、子どもたち自身が発見してけるように促していきたいものです。

 

まとめ

「自主性を尊重」するつもりが、「放任」になってしまってはいけないけれど、もっと生徒が自由に音楽を楽しんで、自分たちらしく部活をやっていってもいいのではないかなと思うこともあります。

「学び合い」を授業に取り入れて3年。一方的な授業より、生徒が頑張って課題に取り組もうとするし、自分たちで問題を解決しようという力は育つと思います。難しいのは何を課題にするか。考える土台となる知識をどこまで教えるのか。 脱線した生徒をどう引き戻すか。そこが教員の力量な気がします。

実験も学習も部活も共通点があります。本当は自分で仮説を立てて、実験をして、考察して、討論するところまでできるように組み立てる必要があると思います。学校で学ぶ知識は無駄ではないけれど、自分たちで考えて行動できる力を育てることも大事。知識はそのための道具。どちらも必要なものであるはずです。

授業でも部活でも、言われたことを言われたままにやるのでもなく、教えられるのをただ待つのでもなく、失敗してもいいから自分で考えてやってみて、そこで何に気付くか、何を考えるかということを大事にしていきたいものです。

自分の手を動かし、頭で考え、努力して身に付けたものは、裏切りません。

そういった体験を社会に出る前に積む場所が学校なのだと思います。嫌なことでも我慢してやらせることも時には必要かもしれませんが、すべてがそのような忍耐力を求められるようでは息が詰まってしまいます。

成長という結果を焦らずに、ゆっくり子どもたち一人ひとりのペースで歩んでいけるように、教員も時には手を出したい気持ちをじっと我慢しながら、見守っていけたらと思います。

 

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先生主導で生徒を服従させる方法では、長続きしない!” への1件のコメント

  1. ピンバック: 「これからの部活動の在り方」を考える。 | とあるラッパ吹きのつぶやき

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