ここのところ、つい理論的なことで頭でっかちになって四面楚歌の状態になっていたりしたのですが、生でいろいろな音楽を聴く中で、「やりたい音楽」「奏でたい音楽」はこういうものなのだな、というイメージが湧いてきて、「もっと音楽したい」「もっと練習したい」という気持ちが高まってきました。
そこで今日は、「生で音楽を聴くこと」についてつぶやいていこうかと思います。
|先生のリサイタルに行って感じたこと
先日、トランペットを教えていただいている荻原 明先生のリサイタルに行ってきました。
私も発表会で伴奏していただいた、ピアノの伊藤さとみさんのお宅にあるサロンでのコンサート。
アットホームな雰囲気の中、先生方の素敵な演奏とおもてなしトークに引き込まれて、とてもあたたかい気持ちになりました。途中、休憩時間に出していただいたオーストリアのワインも美味しく頂きました🍷
プログラムは、
- ヘンデルの作品から
- ミュージカル音楽から
- ガーシュインの作品から
- ニニ・ロッソ「夜空のトランペット」
など多彩なもので、改めてトランペットで表現できる音楽の幅は限りないなと思いました。
そして、先生が奏でる音楽は本当に素敵で、ありきたりかもしれませんが「トランペットで心を歌う」ってこういうことだよなと思うくらい、心が伝わってくる感じがして、聴き惚れてしまいました。
ともすると、「上手く吹かなきゃ」と思うと、ひたすら自分と向き合って、自分の殻に閉じこもって練習に打ち込むことが多い気がします。もちろんそれも大切なことですが、ただ「上手くなりたい」と思ったところで、「どう奏でたいのか」という意欲がなければ、どこかで行き詰ってしまう気もします。
先生が生徒に演奏を“聴かせる”ということは、とても勇気のいることだと思います。でも、生徒が先生の前で演奏して自分の演奏についてのアドバイスを頂くのと同じくらい、先生の演奏を聴くことには説得力があります。
改めて先生の演奏をじっくり聴く機会があって、自分自身もどう演奏したいのか、どんな音色、どんな音楽を目指したいのかを問われ直した気がしました。
|音楽は、「百見は、一聴にしかず」だと思う
普段から先生にはトランペットの技術的なことはもちろんですが、何より音楽をどう表現するかというところを大切にレッスンして頂いていますが、先生の演奏を聴いて改めて勉強になりました。
いい音
いい響き
いい音楽
これらを具体的にイメージできるかどうかで、自分が奏でられる音楽の幅はすごく広がると思います。
そのためには、
いい音
いい響き
いい音楽
を聴くのが一番。
音楽の場合「百聞は一見に…」ではなくて、「百見は一聴にしかず」のような気がします。
どんなに知識があっても、どんなに技術があっても、自分が実現したいと思う音楽を具体的にイメージできていなかったら、自分の奏でたい音楽を表現することはできません。でも、自分の奏でたい音楽というものは、そう簡単にイメージできるものでもありません。具体的にイメージできるようにするには、まずはいろんな演奏を聴いて、自分の心に響く、自分が好きな演奏に出会うことが大事だと思います。
好きこそものの上手なれ。
好きだからこそ、なりたいと思うからこそ、そこに近づいていこうと努力することもできます。迷ったら、まず聴くこと。とにかく聴いてみること。そこからしか始まらないようにも思います。
|まとめ
コンサートでも、レッスンでもいいから、やっぱり生の音、生の音楽に触れて、自分が目指したいものを明確にイメージすることは大事だと思います。
初めは真似でもいいし、そこになかなかたどり着けなくてもいいし、漠然とした憧れでもいいから持てるといい気もします。その中で自分らしさが生まれてきたり、自分が奏でたい音楽がどんなものかも見えてくるような気がします。
人と比較して、「自分は無理だ」と思ってしまうのは簡単なこと。でも、目標とするものが具体的にあって、それを追求し続けていこうという気持ちがあるうちは、そこに近づいていくための試行錯誤を惜しみなくできるようにも思います。
自分もまだまだ理想は高い癖に、そこにたどり着く道のりは遥かに遠い状態です。まぁ、それだから面白いと思うのかもしれませんが。
ちょっとずつ、自分の目指す方向に向けて頑張っていくためにも、生でいい音楽を聴く機会をこれからも大切にしていきたいものです。