努力することは大切。でも、努力だけに頼ると危険。

先日、知人と話していて考えることがありました。
それは「努力すること」についてです。
努力すること、努力できることはとても大事なことだと思います。
中には何でも器用にパッとこなしてしまう人もいるかもしれませんが、普通は何か物事を成し遂げようと思ったときに、少なからず努力をすることは必要です。いくら才能があっても、それを開花させるための努力をしなかったら、永遠にその才能は埋もれたままです。努力をすることは、自分を最大限に活かし、自分自身を大切にして生きるためにも、とても大事な要素の一つだと思います。
でも残念ながら、努力をしたからといって、必ず望むような結果が伴ってくるわけではありません。
どんなに頑張って練習をしても、すべての人が超一流のアーティストになれるわけではありませんし、どんなに頑張って勉強しても、必ずしも志望校に合格するとは限りません。どんなに頑張って仕事をしていても、評価されないことはたくさんあるものです。
そんなこと言ったら、夢も希望もないと思うかもしれませんが、努力ですべてが解決できるかと言えば、そうではないのだと思います。
「努力すれば、何でもできるはずだ」
「できないのは、努力が足りないからだ」
「努力しなかったから、こんな結果になったんだ」

こんな言葉をよく耳にすることがあります。もちろんそのような側面もあると思いますし、相手の力を信じてはっぱをかけるために言っていることかもしれません。
でも果たして本当にそうなのでしょうか。
極端な例かもしれませんが、以前次のような意見を耳にしたことがあります。
「三流大学にしか入れないのは努力しなかったからだ。そこで努力できなかった奴が、いくら仕事を頑張りますと言ったところで、努力できるはずがないし、成果を上げられるはずがない。学歴は努力したことの表れだ。だから学歴で人の力は判断できる。」

確かに、就職試験で筆記試験をしてみると、大学の偏差値順に序列がつきやすいという話は聞いたことがあります。基本的な学力や知識は社会人になる上でも大切な素養だと思いますし、それを身につけられているかどうかを測ることも必要なことです。
でも、筆記試験で上位だった人間が、必ずしも仕事で成果をあげられるかと言えば、それもまた違うと思います。もちろん筆記試験でも優秀で、人とのコミュニケーションも上手で、仕事を始めてからも非常に頼もしい存在の人はたくさんいます。しかし一方で、就職試験ではあまりパッとしなかったけれど、仕事を始めてから自分の役割に生きがいを感じて能力を開花し、生き生きと仕事をしている人もたくさんいます。逆に学歴などにこだわりを持ちすぎて、いつまでも過去の栄光にしがみついてばかりいて本来の力を発揮していない人もいますし、劣等感を持ちすぎて卑屈になってしまう人もいると思います。
音楽の世界でも、才能にあふれていて幼いころから世界で活躍する演奏家もいれば、努力型で遅咲きだけれど味わい深い演奏をする人もいます。演奏家としては大成しなかったけれども、教育者として手腕を発揮する人もいます。有名な音大を卒業していなくても、人の心に響くような素晴らしい演奏をしている人もいます。このように、人にはいろいろな持ち味があるものだと思いますし、必ずしも同じような天秤にかけて人を比較する必要はないと思います。
繰り返しになりますが、努力することは大事なことです。努力しないで文句ばかり言っていても、問題が解決することはありません。
しかし、過度な「努力至上主義」に陥ってしまうと、
「自分は努力が足りないからダメなんだ」 という自己否定、劣等感
「努力をしていないやつは、ダメな奴だ」 というレッテル貼り

の中で、追い込まれてしまう人も出てきてしまうような気がします。努力できること、努力した結果、成果が結びついていくことは素晴らしいことですが、「努力」というものは人と比べるものではないし、自分自身が成長していくためにするものであって、社会的に評価されるためだけにするものでもないように思います。
何か「これだ!」と思うものに出会う前は、いろんなことに挑戦し、一定の努力をしてみることも必要です。それは、物事はある程度やってみないと面白さもわからないし、自分に向いていることなのかもわからないからです。
ただ、すべての人が、すべての分野で活躍できることはありません。
何か特定の分野で苦手なことがある人でも、自分が好きで努力することが苦にならないこともあるでしょうし、自分なりに力を発揮することができる面も必ずあると思います。いいところがない人はいません。どんな人でも、考え方一つでは、何かの役に立つことができるはずですし、自分のいいところを活かしていくことができるはずです。
過度な「努力至上主義」に巻き込まれて、自己否定や劣等感にさいなまれ、自分が本来発揮すべき力を出せないままになってしまうのはもったいないことです。「努力は報われる」という言葉が呪縛となって、ストイックに自分を痛めつけてばかりいては、本当に大切なものを見失ってしまうことにつながることもあるかと思います。
努力も楽しんでできたり、前向きな気持ちでできるうちは、どんどんやっていった方がいいと思います。そういうときは、努力するための具体的な方法が分かっていて意味のある努力ができているときだったりもしますし、努力したことが自信につながりやすいときです。でも、努力をすることが苦しくなったり、自分を追いつめるものになったら、いったん努力をするのをやめてみる勇気も、もしかしたら必要なことなのかもしれません。その中で、自分に本当に必要なことや、具体的にすべきこと、したいことが見えてくることもあるように思います。
頑張ることは、大切。
でも、頑張りすぎないことも、大切。
そんな風に考えながら、子どもたちの可能性も、自分自身の可能性も信じて、自分にできることを精一杯やっていきたいと思います。

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