ほめると子どもはダメになる?!

「ほめると子どもはダメになる」という本が話題になっています。

この本も決して「褒めてはいけない」と言っているわけではなく、欧米における親や教師と、日本のそれとは立ち位置が異なるということを前提にしながら、欧米の考え方をそのまま鵜呑みにして日本に導入するのはいかがなものか、という提議をされている感じの内容でした。読んでみると、いろいろ考えさせられることもたくさんあります。
確かに自己肯定感というものは、けなされたり怒られ続けても育たないものですが、ただ褒められ続けても育たなちません。自分が決して良いと思っていないのに人から褒められても、「本当に本心から褒めてくれているのか」「自分のことを本当に見てくれているのだろうか」という不安感を増長させてしまうこともあると思いますし、逆に自分に自信を持ちすぎるあまり、人からのアドバイスを受け入れられなくなったり、少し注意されただけでえらく落ち込んでしまう状況になることも考えられるからです。
もちろん、受け取る方としては褒められたら素直に受け取るのが一番だとも思いますし、一方で謙虚に受け止めることも大事なことです。自分のまずいところを自覚しながらも、自分のどんなところが良いところで、どう活かしていけるのか考えて行動していくうちに、少しずつ自己肯定感というものは育っていくもののような気がします。
そのように考えてみると、ただ褒めちぎったり、叱らないことが自己肯定感を育てることにはならないように感じます。
自己肯定は決して自分を過大評価することとイコールではありません。ただ自分という存在そのものを受け入れることだと思います。自信過剰になることでも、自分だけが絶対に正しい存在になることでもありません。
誰にでも長所も短所もあります。自己肯定感を持つということは、それをうまく利用して自分のやりたいことを実現させていくことなのかなとも思います。それを実行していくうちに真の自信が身につく気がします。
理不尽に怒鳴り散らしたり、強制的に従わせようとしたり、暴力に訴えるような指導は無くしていくべきです。それは自己否定感を増長するだけでなく、自分で考える力を奪うことにもなります。でも、褒め殺しもまた無責任です。絶対にダメなことはダメだという壁になりつつ、でも頭ごなしに決めつけるのではなく、必要だと思うことを丁寧に伝えていくことが大人には求められる気がします。
あまりにも過熱しすぎて周りが見えなくなってしまったり、「何でもあり」の無法地帯になってしまってはいけないと思います。どこかで歯止めになることも必要なことです。ただ、「もっとやりたい」「もっとこんな風になりたい」という一人ひとりの気持ちは誰にも止めることができないものですし、何かを追究していく為に必要な大事な感覚だと思います。その気持ちを無理やり力づくで押さえ込むこともまた違うように思います。
何でもかんでも子どものやりたいように自由にさせるのでもなく、大人が操りたいように子どもを操るのでもなく、子どもがいろんな視点を持ちながら成長していけるように、段階を追って壁となっていけるような大人になりたいものです。うまくいかないこともあるだろうし、やろとしていることがうまく伝わらないこともあるかもしれません。時として嫌われ役になる必要もありますし、無償の愛で受け止めるべき時もあると思います。
教育はマニュアルでは語れないもの。だからこそ、目の前にいる子どもたち一人ひとりと格闘しながら、自分自身も成長していくことが求められるような気がしています。自分もまだまだ感情に流されてしまったり、生徒の壁になりきれなかったり、甘やかすだけになってしまうことはたくさんあります。おせっかいな話かもしれませんが、子どもたちが自分の力で一歩一歩歩んでいけるように、時には厳しいことも要求しなければいけないこともあります。
叱ったり、壁になったりするのはパワーのいることです。褒めちぎって、子どもたちを甘やかすだけなら楽な仕事です。何事もバランスです。大人の言うことを従順にきかせるのでもなく、でも人格を否定するような言葉の暴力を浴びせることもなく、子どもたち一人ひとりが本来の自分自身と向き合うことができるように、辛抱強く寄り添うことの出来る教員を目指していきたいものです。

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