「なるようにしかならない」と考えるか「なるようになる」と考えるか。

「なるようにしかならない」と考えるか「なるようになる」と考えるか。
どちらも同じことのように聞こえますが、後者の方が降りかかってくることを素直に受け止めやすくなる気もします。
そう感じたのは、先日大学生の就活相談の場に居合わせた時です。
いろいろと話をしている中で、ある学生が「もうなるようにしかならないんで、やるしかないです」と私に言いました。そこまで割り切って就職活動に臨もうとしていて力強いなと思う反面、自分の中にある不安な気持ちを精一杯の言葉で打ち消そうとしているようにも聞こえました。
その時、とっさに出た言葉が「なるようになるから、大丈夫だよ」でした。ちょっと無責任だったかなと言った直後に少し反省もしたのですが、同時にその場の雰囲気が少し和んだのも感じました。
では、それはなぜだったのだろうかと考えてみました。
「なるようにしかならない」と考えると、自分の運命は1つに決められていて、そのレールに自分は従って歩んでいくしかないのだという気持ちになるような気がします。どう頑張っても、どんなに願っても、変えることのできない運命を受け入れなくてはいけない、自分はそんな印象を受けます。
でも、「なるようになる」と考えてみると、結果的に1つの運命に向かっていくのかもしれないけれど、いろいろな可能性を感じつつ、失敗をしても試すことをくり返しながら、自分に合っているものや自分の好きなことを見つけていく冒険ができるような気もします。
同じような言い回しであっても、肯定形で使うか、否定形で使うかで印象はだいぶ異なってくるのだなと改めて考えさせられました。
そういえば、人間の脳は否定形の言葉をうまく認識できないという話を聞いたことがあります。「~しないように」という指示を脳に与えても、「~」というところに意識がいってしまい、それを打ち消そうとするには相当なエネルギーが必要になってくるといった主旨の話だったように記憶しています。
そう考えてみると、指導の現場では否定形の言葉を使われることが実に多いように思います。
「遅刻しないように」
「間違えないように」
など、考え出したらキリがないほど、「~しないように」という指示をしている気がします。それでは、どうしても子どもたちは「あれはしてはいけない」「これはしてはいけない」と窮屈な思いの中で育つことになります。
もちろん、本当にしてはいけないことはありますし、そういう注意の仕方も時には必要だと思いますが、いつもそればかっかりでは、「じゃあどうすればいいの?」という不満であったり、「自分はダメなのだ」という自己否定感じを募らせたりすることに繋がっていってしまう気もします。
どんな言葉でも、否定形ではなくて肯定形で使ってあげること。自分や他人の短所を長所に言い換えて考えてみること。それだけで見えてくる景色は変わってくるように思います。どうせなら景色はいい方が気持ちいいですよね。
話を元に戻します。
確かに中途半端にやっていては「なるようにしかならない」かもしれません。もちろん自分がやった以上のことができてしまうなんて都合のいい話はなかなかありませんが、本気で考えて一生懸命やったことは「なるようになる」はずです。それを高めていったり、選択の幅を広げていくのは自分次第。そう考えると可能性は広がりますし、もっと自由に解放された気持ちの中で自分を磨いていけるような気がします。
他人と関わる問題を抱えているときには、自分の力ではどうしようもできないこともあります。そんな時こそ「なるようになる」と思って、自分ができる目の前のことを少しずつやってみる。その小さな積み重ねを自分自身で認めてあげるだけでも、確実に前に向かって進んでいる自分と出会えるはずです。
私自身、うまくいかないことがあると、つい「なるようにしかならない」と諦めたり、自分を追い込んでしまうことはあります。でも、そう思っていることに気づいたら、「なんとかなる」と言い換えてあげて、失敗も受け入れながら、自分の道を切り開くために希望をもって頑張ればいいのかな、と思いました。

「なるようになる」

一瞬無責任な言葉にも聞こえますが、本当は自分自身のことも、相手のことも否定することなく、可能性を広げていくための心強い応援の言葉になるのかもしれません。

iQiPlus

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。