「どんなときも。」に思うこと

私は20年来の槇原敬之さんのファンです。
先日、Twitterで槇原さんの代表作「どんなときも。」についてのエピソードが流れてきたので、久々に聴いてみました。
私が槇原さんの歌と出会ったのは映画「就職戦線異状なし」のテーマ曲として当時ヒットした「どんなときも。」を小学校の卒業式で歌うことになったのがきっかけです。生まれて初めて自分のお小遣いで買ったシングルCDが「どんなときも。」でした。
でも、あまりのヒット曲だったのと、中高生の頃は歌詞の意味を表面的にしか捉えられなくて、思い入れのある曲ではありましたが、あまり積極的に聴いたり、カラオケで歌ったりということはない曲でした。
その「どんなときも。」を改めていい曲だなぁと感じたのは就職活動をしていた時でした。当時は教員採用試験の倍率も高く、合格する自信は微塵もなかったので、教育業界を中心に、一般企業の就職も視野に入れて自分も活動をしていました。
奇しくも、日経株価平均がバブル後最安値を記録し、「就職戦線異状あり」だった頃。エントリーシート対策で自己分析をすればするほど、自分は何をすればよいのか、何がしたいのかが見えなくなって、自分のダメな所ばかり見えてきて、アピールできるところなんてないのではと不安な気持ちに押しつぶされそうになりました。友達や家族に当たってしまったこともありました。
その時、「どんなときも。」をふと聴いていて、ようやくその歌詞の意味が響いてきました。
どんなときも どんなときも
迷い探し続ける日々が 
答えになること 僕は知ってるから

迷って、自分がどこにいるのか訳が分からなくなって、いつになったらこの長いトンネルを抜けられるのか不安な気持ちでいっぱいになったとき、この歌詞が自分の背中を強く押してくれました。いっぱい悩んで、いっぱい迷って、がむしゃらに動いて、いろんなものを見て、いろんな話を聞いて、結局たどりついたのは教員への道でした。
教員になって12年。いろいろなことがありました。いろいろな出会いがありました。たくさんの人たちに育ててもらいました。まだまだ未熟で上手くいかないことだらけですが、久々にこの歌を聴いてみて、今度は違うところに気持ちが惹かれました。
“昔は良かったね”と いつも口にしながら
生きて行くのは 本当に嫌だから
消えたいくらい 辛い気持ち
抱えていても
鏡の前 笑ってみる まだ平気みたいだよ

人の記憶というものは、時が経てば経つほど、いい思い出が美化されていくような気がします。だからきっと、上司が部下に向かって「俺たちの若い頃は…」などという話をしたりするのだと思いますが、本当は今の自分にしかできないことがたくさんあって、たくさんの素敵なことを切り拓いていく力を誰もが持っているのだと思います。
どんなときも、僕が僕らしくあるために、自分の信念を見失わないように生きていくこと。
失敗しても、上手くいかないことがあっても、それだけは忘れずにいること。
何より、笑顔でいることを忘れないこと。
改めて大切だなと思いました。

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