吹奏楽コンクール考⑪ ~ 「音楽をする心」の上に技術が乗る~

昨日のブログ「”枝葉を見て木を見ず”にならないために」について、リプライをいただいた中から改めて考えたことを今日はまとめておこうと思います。
コンクールとなると、どうしてもタテヨコ音程の要素が重要視されます。それももちろん必要だと思いますが、なぜそこばかりにとらわれてしまうかといえば、審査員の先生方の講評であまりにもそこばかり指摘される(それだけ気になるほど合ってないのでしょうが)のも原因の一つだと思います。
結果として、子どもたちもどうしても気にしてしまい、本来の「楽しむ」ということを忘れてしまうこともあるのかなと思うと、少し本末転倒なような気もします。
確かに見学させていただいた”強豪校”とよばれるバンドは、どこも細かい練習に時間をものすごく費やしていました。タテヨコ音程もしっかり合わせることができています。ただ同時に、生徒一人ひとりが完成形をイメージできているというか、向かっていく方向がどこにあるのかをしっかり持った上で細かい練習しているなとも思いました。
そのようになるためには、まず「音楽ってこんなに楽しい」という実感を味わえるといいように思います。その上で楽器本来の美しい響きで鳴らせるようになること、奏でたい音楽が自分の中から湧いてきて、それを実現するために技術を磨きたいと思う、そんなサイクルができたら、音楽を楽しみながら技術も磨くことができるし、卒業してから楽器が押し入れ行きになってしまうこともなくなるのかとも思います。
本当に大切なことは、「どうやったら聴き手を楽しませることができるか?」を考えて、そのために一生懸命技術を身につけ、表現力を磨いていけるかなのかもしれません。
同時に、指導者がまずどこに向かいたいか、ブレのない信念みたいなものが大切なのだと思います。その上で、子どもたちの「やりたい」があって、それを共に歩んでいくような指導者が求められているのかもしれません。
自戒も込めてですが、指導者自身の中に答えがなかったり、迷いばかりが生じていたら、子どもたちはどこへ向かっていけばよいか分からなくなってしまいますものね。自分の中で答えを持つ、そのために勉強を欠かさない、改めて大切だなと考えさせられます。
「音楽をする心」の上に技術が乗っかってくる、そんな風に音楽づくりができたらなと思います。
最後に、チューバ吹きの風来坊さんにいただいたリプライを紹介しておきたいと思います。
やはりタテヨコ音程にとらわれ過ぎる、のがとくに中高生にとってはマイナスなのかなと思います。音楽は勝ち負けうんぬんで語れるものではないですしね。
極端な話、「自分たちの音楽は100%表現できた!賞なんてどうでもいい!!」のが理想なのかもしれません(笑)

本当にその通りだと思います。コンクールに出る以上、「賞」という結果はつきまとってくるものですが、それよりも大切なことを見失わないようにしていきたいと思います。
(Twitterまとめ)

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