吹奏楽コンクール考⑩ ~「枝葉を見て木を見ず」にならないために~

トロンボーン奏者の福見吉朗さんが次のようなツイートをされていたことをきっかけに、少しお話をさせて頂きました。その中で考えたことを今回のブログではまとめておきたいと思います。
楽譜には、拍子があって、テンポがあって、リズムと音が書いてあって、強弱やアーティキュレーションがある…。
その書いてあることを、いかに正確にやったかを問われるのが、コンクール…、なのでしょうか?
正確に演奏することはもちろん大切ですが、それで音楽になるわけではありませんよね…。

確かに少なくとも地区大会くらいだと、譜面をどれだけ正確に演奏できているかが問われている気がします。もちろん点数は「技術」「表現」の2つの視点から採点されるわけですが、講評では指摘される点は「音程、ピッチ」「タテ」「ハーモニー」が合っているかどうかを問われていることが多いです。このことからも、まずはそのあたりのことが問われていると推測できます。
だからどうしても音楽表現という意味での音楽づくりが後回しになって、細かいところを詰めていく練習が現場では優先されるのだろうなと思います。
でも、同じ細部を正確にするのでも、ただ正確にすることだけ考えるのか、それともその先の音楽を見ているのかでは、全然違ってくるような気がします。
本当は全体像を見た上で、音楽全体を整えるために細部で何をすべきかを考えるというつくり方が本来あるべき姿なのだと思います。
手っ取り早く金賞、上位大会へ、と考えると細部の詰めを徹底的にやった方がよいのかもしれません。ただ、それではBJ 12月号での後藤洋氏のご指摘の通り、音楽のコンクールでなくなってしまうようにも思います。
つい現場にいると目の前のことにとらわれて視野が狭くなってしまうところが、自分でも情けなさを感じるところです。
だからこそ、「枝葉を見て木を見ず」にならないで、その先の音楽を考えた上で細部も詰められる指導者になりたいものです。
(Twitterまとめ)

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