ブラック肯定主義が蔓延しないために

部活を休んだり、辞めたりするときに一悶着あることはよくあることだと思います。
特に吹奏楽のような団体で活動する部活の場合、一人が休んだり、辞めたりすることで全体に影響が出ることも少なくありません。だからこそ、一人ひとりは「かけがえのない一人ひとり」だし、誰も欠けることなくみんなが揃って活動できることがとても大切なのは当然のことです。
しかし、「かけがえのない一人ひとり」だからこそ、一人ひとりを本当の意味で大切にしなければいけないし、部活が人としての成長を阻害するものであってはいけないのだと思います。
部活は社会の縮図です。そこにある教育的意味はとても大きなものがあるし、いろんな経験を積み重ねることで人間的に大きく成長できる機会でもあると思います。
確かに、自分の都合だけ考えて自分勝手な振る舞いばかりしていたら社会は成り立ちません。でも、本当にその人が潰れるまで使い尽くしたら、せっかくの能力を引き出せずに社会のためにならずに終わってしまうこともありえるわけです。
そのバランスとり、舵取りが難しいわけですが、やっぱり自分は一人ひとりがその人の持つ最高のパフォーマンスで活動できる環境を保証できる部活、社会であるべきだと思うし、耐えて頑張ることだけが美徳であるような「ブラック肯定主義」が横行するような社会に子どもたちを送り出したくないというのが本音です。
本当に潰れてしまってからでは遅いのです。
だからこそ自分は、休むという選択肢も、辞めるという選択肢もそれを選ぶことができる環境を整えていきたいと思うのです。
それは互いを思いやり、支え合うことでもあると思うし、自分の持てる力を出し合って社会(部活)全体として結果を積み上げていくことであるようにも思います。
休むことも、辞めることも甘えではありません。
ただ大切なのは、その後に起こることを予測し、自分が休んだり辞めたりすることで起こりうる不利益が最小限に抑えられるような引き継ぎ、説明を誠意をもってすることです。
繰返しになりますが、潰れてからでは遅いのです。
頑張って耐えて耐えて潰れてしまって、かえって人に迷惑をかけることになることも少なくありません。
誰もが超人ではないのです。それを自分に対しても他人に対しても許してあげることが大切だと思います。
いろいろなツイートや国会中継を見ながら、ふとそんなことを考える今日この頃なのでした。
(Twitterまとめ)

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