「負けたくない」という思いをどのように利用していくか ~ゴールは自分の中にある~

吹奏楽界ではその名を知らない者はいないであろう某○谷先生が「人の失敗さえ喜ぶような、勝ち負けに拘るのは音楽ではない。でも日本の吹奏楽のレベルを維持するためにコンクールのような目標となるイベントは必要」とおっしゃっていたという話を聞きました。レベルの高いところでしか得られない感動や楽しさもあるけれど、勝ち負けに拘り過ぎるのも問題なのだと思います。
そこのバランスをとるが難しさでもあり、日本の吹奏楽部が体育会系と呼ばれる所以にもなっている気がします。コンクールで勝つためにはできるだけ失敗をしないことが求められます。減点のしようがない、ある意味完成された音楽が評価されます。でも、評価方法や基準が変われば吹奏楽がもっと違うものになると思うのは私だけでしょうか。
人間は誰しもどこかに「他人に勝ちたい」という欲を抱えている気がします。でも、他人はともかく、自分たちがどう演奏したいかが一番大切で、自分たちにしかできない音楽づくりこそが本来の目的のように思います。他人を基準にして考えると、ゴールはそこに設定されてしまい、結果的にもっと上達できる可能性を狭めてしまうことにつながりかねません。
そこまで頭で分かっているつもりでも、今自分にはどうしても負けたくない相手がいます。だから頑張れている部分も正直なところあります。いい意味で切磋琢磨できる関係になれたらなと思いますが、今は負けたくない一心で練習している気がします。本当はそれより大切なことがあるのにな…と思いつつ、やっぱり負けられないと思うのです。
エリック・ミヤシロさんが「トランペットは心が折れたらダメな楽器。どんなときも楽器をもったら自分の中の攻撃的な部分を見せていく必要がある」とおっしゃっていたことを思い出します。今、きっと自分の中のラッパ吹きの血が騒いでいるに違いない。
でも自分の中の「負けたくない」という思いは、ただ負けたくないんじゃなくて、一緒にいい音楽を追求していきたいんだってことなのだと思います。そんな風に思える仲間に恵まれて幸せだということなのだと思います。だからこそもっと上手くなりたいと思っていて、一人で置いていかれたくないんだってことなのだと思います。それが負けたくないという気持ちになっているように思います。
「負けたくない」という気持ちを持つことは悪いことではありません。でも、そこで終わってしまわないように気を付けていないと、心から音楽を楽しむという本来の目的を忘れてしまうことにつながりかねません。常にゴールは自分の中にあって、自分がどんな音楽を奏でたいのか、そういったところに焦点をあてて練習に取り組んでいけたらなと思います。
(Twittterまとめ)

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