相手が「いる」ことを意識する! ~あたたかい関係をつくるために~

こんにちは、おのれーです。前回の更新から3か月経ってしまいました。ネタはたまっているのですが、ゆっくり更新していこうと思います。。

さて以前、ホルン奏者のごんざゆういち@Gonja_19)さんが次のようなツイートをされていました。

ごんささんは、「挨拶の是非」とか「行動の是非」についてではなくて、言われたことや実際に起こったことを「自分がどう受け止めるか」ということが恐らく言いたかったのではないかなと思うのですが、普段から私自身「挨拶」についてはいろいろ思うことがあるので、今日は挨拶や返事について考えてみたことをつぶやいてみたいと思います。

 

挨拶って、そもそも何だろう?

辞書で調べてみると、「挨拶」について次のような記述がありました。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

挨拶 あいさつ

日常の人間関係を円滑に取り運ぶための、一定の形式をもった、なかば儀礼的な相互行為。一方、人間関係を疎遠にするために交わすこともある。
挨拶の方法は、互いに声をかけあったり、または特定の顔の表情や身ぶり手ぶりで示すなどさまざまであり、これらのことばや動作は、それぞれの社会において幼いころからしつけられる。また挨拶には、社会的空間において互いの関係を位置づけまたは確認するという目的も含まれているため、性、年齢、地位、身分、宗教、親族関係の有無あるいは差違、生活集団の内にあるか外にあるかなどの諸条件に応じて挨拶の仕方も違ってくる。(中略)
しかし、諸民族とりわけ非西欧的社会における挨拶については、風変わりな部分だけが取り上げられ、ことさら話題にされる傾向が強い。だが、日本人が腰を折り身をかがめておじぎをし、欧米人が抱擁し接吻するのも、みる立場によっては、それぞれ変わった挨拶として受け止められよう。挨拶を考える場合、その背景にある社会的状況と文化的前提とを対比、関連させながら掘り下げる必要があろう。[小川正恭]
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外部からの訪問者に挨拶をすることで、不審者対策にもつながるという話を聞いたことがあります。 挨拶は礼儀やマナーとしてしつけられるものである一方で、相手の存在を認知し「あなたがいることが分かっていますよ」というメッセージを相手に伝える行為でもあります。ですから、相手とコミュニケーションとる第一歩として必要なことだなと思います。

 

吹奏楽部における「挨拶」と「返事」

吹奏楽コンクールなどに行くと、他校と「こんにちは」の儀式が始まりますね。

それ自体は悪いことではないですし、相手の存在を意識して、挨拶を交わすという行為は素敵なことだとは思います。ただ、舞台裏ですれ違うたびに、互いに「こんにちは」と言い続けて、途中から半ば義務感でやっているのではないかという状態になっているのを見ると、なんだかなぁ、と思うこともあります。

返事も同じです。

どこの学校に行っても、指揮者の指示に対して「はいっ!」と威勢の良い返事が返ってきます。中には返事がそろうまで返事の練習をさせている学校もあるようです。

自分も、なかなか思い切り音を出せない生徒が多かったりしたときに、返事だと声を出しやすいので練習に使ったことはありますが、大きな声で「はいっ!」という返事が揃うまで練習することは、客観的に見ると異様な光景にも見えます。

そもそも、「はいっ!」という返事が大きな声でそろっていても、中身を理解して、納得して返事をしているのか、疑問に思うこともあります。自分自身、指揮者の指示に対して意見をするという習慣はありませんでしたし、何か言い訳しようものなら怒られましたし、友達と「はい」か「YES」か「Ja」しか言えないよね、という冗談を言っていたくらいです。今もその名残は残っていて、誰かに何か言われると、「はい、すみません!」と反射的に答えてしまうことがあります。

本来は言われたことに対して、ただ頷くくらいでも、目が合うくらいでもお互いの印象が全然違うと思うのですけどね。あくまで挨拶も返事もコミュニケーションの手段であって、誰かに強制されるものではありませんし、自分の心を表していくものです。しかし「返事がいい学校は演奏も上手である」といって、“返事の練習”が始まったり、返事が無いことが問題化して、本質と話がずれていっていることもあるような気がします。

「返事がいい学校が演奏も上手」というのは、自分を出せる安心・安全な環境が整っていたり、円滑なコミュニケーションがとれているからこそ、それが音楽にもつながっているという面もあるように思います。形だけ真似するのではなく、その奥にある本質的なところを見失わないようにしたいものです。

以前見学に行った学校で、返事はほとんどしないのだけれども、指揮者の言ったことに瞬時に反応して、ゆるやかに会話が始まったり、出てくる音が「先生、分かりました!」と言わんばかりの変わりようで、本当にコミュニケーションが上手くとれているのだなと感じた学校がありました。

本当は、それでいいんだと思います。形式的なことにこだわって、本当にはコミュニケーションが取れていないくらいなら、自分たちに合ったやり方で、互いの顔を見ながら、気持ちを通い合わせることができるのが一番なのだと思います。

 

まずは相手の存在を認め、反応してみることから!

円滑なコミュニケーションというのは、言葉でいうのはかんたんですが、実際には意外と難しいものです。一人ひとり感じ方や考え方は違いますし、言葉一つとっても、受け止め方は人それぞれだったりします。それだけに誤解が生じたり、すれ違ってしまったり、ぶつかってしまったりすることは当然あることなのだと思います。

同じような考えの持ち主どうしだけでかたまったり、相手に何か思っても飲み込んだり、あえて関わらないようにした方が楽なこともあるでしょう。日常生活の中では、そのように立ち回った方がよいこともあるかもしれません。でも、大人数で音楽をつくりあげていくときには、たとえ気の合わない仲間がいたとしても、互いを出し合って、助け合って、尊重し合って演奏していかなくてはいけません。これはクラスで作業をしたりするときや、将来社会に出てチームで仕事をしたりするときにも言えることです。

決して、常に全員が同じ方向を向いて、いつも仲良しでいろとは思いません。「仲が良いこと」と「協力できること」は似たようにとられることもありますが、私は必ずしもイコールではないと思っています。

表面上の仲の良さは、時としてなれ合いを生み、誰かが我慢してしまうことにつながることもあります。普段仲があまり良くなかったとしても、お互いの存在を尊重することができれば、個々の力を出し合って協力して良いものをつくりあげることができることもあります。

仲が良いことは素敵なことだと思いますが、それが縛りになってしまって、大切なことを見失い、せっかく一人ひとりが持っているはずの力を出せなくなってしまうような状況になるのは本当にもったいないことだと思います。あえて誰かと気持ちがぶつかりあったり、辛い思いをすることはないかもしれませんが、必要なことまでもいえない関係というのは、音楽をみんなでつくりあげる上では致命傷だと思います。

たとえばLINEのやりとりで、次のような状況になったら、どのように感じますか?

「すいぶ かなこ」さんからすると、「こいつ、ちょっとしつこいんだけど!」「面倒くさいやつだな…」と感じているかもしれませんが、もし、自分が発信したところで、「既読」にはなっているけれど、何も反応が無かったら、不安にはならないでしょうか。

合奏やミーティングでも同じことが言えると思います。前で指揮者や連絡をする必要のある人が必死に訴えかけていても、返事だったり、何かしらの反応がなかったりしたら、自分の言っていることが伝わっているのかどうか分からず、とても不安な気持ちになると思います。

一方で、次の図のように、どんな問いかけに対しても「はい!」と答えている状況も、おかしいですよね。

「本当に聞いているの?」と思いませんか?私も「返事は無理にしなくてもいいけれど、分からないときは“分かりません”、わかったらうなずくくらいしてくれますか?」とたまに言うことがあります。やたらに返事をして欲しいわけではなくて、一人ひとりが考えていることや感じていることを発信してほしい、というのが願いだからです。

 

おわりに

私は自分から挨拶したり、返事が無かったら「今の分かりにくかった?」と先に聞いてしまうことが多いかもしれません。強制したくないけれど、コミュニケーションは自然にとれるようにしたいなと思うからです。

挨拶も返事も、相手の存在を認めているということを示す手段に過ぎません。でも、相手の存在を認めなかったら、コミュニケーションは始まらないし、大人数で音楽をつくるなんて到底できません。声を出していくことは勇気がいることかもしれませんが、まず自分から動くこと、発信することを大事にできたらいいのかなと思います。

強制された挨拶や返事はどうかと思いますが、人として自然に挨拶したり、積極的にコミュニケーションがとれることは大事なことです。 そして、そんな雰囲気をつくるのは、普段から子どもたちに接している教員や親の責任。と言って、自分の首を絞めてみたところで、久々のブログを閉じたいと思います(笑)

 

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相手が「いる」ことを意識する! ~あたたかい関係をつくるために~” への1件のコメント

  1. ピンバック: 「ほうれん草+角煮」で円滑なコミュニケーションを! | とあるラッパ吹きのつぶやき

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