自信は根拠がなくていい!

日本の子どもは自己肯定感が低く、自信がないということがよく話題にのぼります。確かに子どもたちを見ていると、なかなか自信がもてなくて、授業やHRで自分の意見を言ったりすることが苦手な子も多いですし、合奏でも思い切り音を出すのが怖いと感じている子も多いような気がします。

自分自身、自信があるかと言われたら決してありませんし、それだけに誰かから何か言われるとすぐに気持ちがぐらついてしまったりもします。

今日は、「自信を持つこと」についてつぶやいてみたいと思います。

 

いつから自信はなくなってしまったのだろう?

小さい子どもを見ていると、必ずしもというわけではありませんが、親を目の前にして、思ったことをはっきり言ったり、わがままを言ってみたり、自分の思うがままに動き回ったりと、本当に自分の意思に対して素直に、自由に生きているなと感じることがあります。

それが、小学校、中学校と上がってくると、なぜあそこまで自信がなくなってしまうのでしょうか。

大きな理由としては、次のようなことが考えられます。

1.集団生活の中で、協調性を求められるようになってくる

保育園や幼稚園、学校など、集団生活の場においては、常に「空気を読む」ということが仕込まれていくように思います。「みんなが〇〇している時は、〇〇しなくてはいけない」というように、集団生活の規律を学び、協調性を育んでいく中で、自分の「こうしたい」という気持ちが抑えられたり、「みんなと違う」ことが「悪」であると感じたりすることも少なくありません。

もちろん、社会に出ていくまでの間で、協調性を培っていくことは大切だと思います。特に農耕民族で集落を形成して生きてきた日本人は、伝統的に協調性を重んじる風潮があると思います。協調性の名のもとに、自分を抑え込んでいた方が、居心地のいい環境というのもあるかもしれません。

ただその中で自分を抑え込むあまり、自分から何かを生み出そうとしたり、主体的に行動したりという意欲は削がれてしまう危険性もあるように思います。

 

2.大人からのダメ出しが多い

子どもの頃、大人から
「ちゃんと〇〇しなさい!!」
「〇〇しちゃダメじゃない!」
「なんで、〇〇しないの!」
などとと注意されたことがない人はいますか?

恐らくほとんどの方が、親や教師など身近な大人から、自分のしたことに対して注意された経験があるのではないでしょうか。

もちろん、大人も子どものためを思って注意しています。でも言い方やフォローをうまくしないと、子どもは「自分がやっていることはダメなことなんだ」というメッセージだけを受け止めて、自己否定に陥ってしまうこともあるように思います。

 

3.人と比較する(される)ことが増える

上の2つとも関連することですが、同年代の子どもたちと集団生活を始めると、
「〇〇ちゃんより、私はできない」
といった劣等感が芽生えることがあります。

そして、それは多くの場合、大人が
「〇〇ちゃんはできるのに、何でできないの!」
と、誰かと比較して叱ることで、増長される傾向があるように思います。

運動でも、勉強でも、一人ひと得意や苦手は異なるもの。確かに「ここまでは最低限できるようにしよう!」という目標を示すことは大切だと思いますが、大人が示した基準に到達しなかった場合、劣等感は大きなものになっていきます。

 

このように、年齢を重ねていくにつれて、子どもたちは「自分らしくいること」から「みんなと同じでいること」を学ぶようになってきます。また、「できたこと」よりも「できなかったこと」をどう改善していくかに目を向けるあまり、自分のダメな所ばかりに目が行ってしまうことも出てきます。

それが、いざ自分がやりたいことが見つかった時、よく効くブレーキとなってしまうことがあるのだと思います。もちろん、子どもの性格や生育環境によって個人差はあると思いますが、「自身がない」と思っている子どもたちの多くは、生まれながらに自信がなかったわけではなく、成長の過程で自信を失っていってしまう面が大きいのではないでしょうか。

 

自信は、認められることで育っていく

先日、Twitterで朝日小学生新聞に掲載された記事が紹介されていました。

この記事で最も「そうだなぁ」と思ったのは次の言葉です。

「これができた」をコツコツ積み上げていけば、必ずあなたも自信がつく。

このように、自分が「できた」と思ったことを認めてあげて、自分ができること、自分の可能性を認識していくことも、自信をつけるためには必要なことです。

そして、できた時に「できたね」と大人が声をかけることも、大事なことです。この時「えらいね」「すごいね」ではなくて、「できたね」と声をかけてあげることが個人的には大事だと思っています。それは、前者だと、次に何かに挑戦する目標が「誰かに褒めてもらう」ことになってしまい、自分自身の欲求に基づいた能動的な行動につながりにくくなってしまいますが、後者の場合、“一つの課題を乗り越えることができた”ということを教えてあげることで、子どもが自分自身で「自分を認める」という意識につながると思うからです。

このように、大人がどう子どもにはたらきかけるかで、子どもたちが自信を持てるかは大きく決まってくるようにも思います。子どもが自分で自分のことを「認める」ことを手助けできるようなはたらきかけを、大人はしていく必要があるのだと思います。

 

褒め言葉は、素直に受け取ること!

「自分すごいでしょ!褒めて!」とばかりにアピールできる人を見ていると、その自信はどこからくるのだろうと思うことがあります。もしかしたら自信の無さの裏返しなのかもしれませんが、自分からすると、うらやましく見えることがあります。

私が今トランペットを習っている荻原明先生や、アレクサンダーの学校であるBodyChanceの先生方や仲間たちは、生徒ができたことを素直に喜んで下さるし、褒めて下さいます。

ただ、ダメ出しされることに慣れ過ぎてしまった私は、ダメ出しされると誰よりも凹むくせに、ダメ出しされないと本当に大丈夫なのか不安になり、「いやいや、そんなに言って頂いても、全然自分なんかダメだから」と、褒め言葉を素直に受け取れないことが多いです。本当に面倒くさいな、自分と思ったりします。

学校というところは何かとダメ出しの多い環境です。自分も長年、学校という場で仕事をしてきて、知らず知らずのうちに生徒にダメ出しをしていることがあるなと感じます。要は、目の前の小さな成長に目を向けるのではなくて、自分の中での到達点があって、そこに到達していなければ全てダメ!といった思考回路ができているのだと思います。そのような環境の中で、子どもたちが自己肯定感を失ってしまうことは当然のことなのかもしれません。でも、本当に子どもたちの成長を考えるならば、自信を育てることが学校の本来の役割なのだと思います。

さて、ここでちょっとした会話文を読んでみて下さい。

先生
「みなさんは、将来の目標とか、やってみたいことはありますか?」

Aさん
「自分は〇〇がやってみたいです!難しいかもしれないけれど、これまでも頑張ってこれたから、たぶん今度もやれると思います!とにかくやりたいと思うことをやってみます!」

Bさん
「〇〇に興味はあるのですが、自信はありません。とりあえず頑張ってみようかと思いますが、ダメだったら××も考えてみようかなと思います」

Cさん
「やってみたいことはあるけれど、自分なんかにできるだろうかと思っています。自分にもできそうなことはありますか?」

あなたなら、Aさん、Bさん、Cさんの誰に近い答えをするでしょうか?

Aさんのように自信を持っているこというのは、自信を持って前向きに努力できるから、周りからも好感を持たれるし、目標とすることに対する成果にもつながりやすいし、それがさらに大きな自信となって、運を引き寄せていくのかなと思います。このように自信がプラスに連鎖していくことは素敵なことだなと思います。

しかし、子どもたちの中には、Bさん、Cさんのように答える子はかなり多いように思います。そう答えてはいけないわけでもないですし、自分もどちらかというとBさん、Cさんタイプなので、気持ちはよくわかります。ただ、こういう答えが返ってきたら、大人はどうやって自信を持たせて、やりたいことに挑戦させるかを考える必要があるのだと思います。でも中には「そんな自信がなかったら、できるものもできなくなるぞ!」と気合いで叱咤する先生もいるかと思います。それでは、余計に自信がなくなって、マイナスの連鎖を生み出してしまいます。「自信がない」子どもを目の前にした時こそ、どのように対応をしていくかが問われます。

私が高校生の時、大学で専門にしようとしていた化学のテストで18点を取り、教室で大泣きしていた時のこと。化学の先生が声をかけて下さいました。

先生「小野さん、大学は何学科に行きたいんだっけ?」
自分「化学科です」
先生「そうなのね。小野さんは実験が好き?」
自分「はい」
先生「それなら大丈夫!化学はね“1に実験、2に実験、学力あとからついてくる”って言われてるのよ。テストでできなかったところは教えてあげるから、頑張りなさい」

あの時、先生がこのように声をかけて下さらなかったら、きっと自分は化学科に進学することを諦めてしまったような気がします。自分が好きなことを認めてくれて、励まし、応援してくれる人がいたからこそ、自分は好きな道に進んで頑張ることができているのだと思うと、この先生には本当に頭が上がりません。

とりあえず、褒め言葉は素直に受け取って、浮かれすぎず、でも小さな成長に喜びを感じて、また頑張ろうって思えたらそれでいいのだと思います。それを教えてあげることも、大人の役割です。そうしたちょっとした積み重ねが自信になっていくのだと思います。

 

初めは、根拠のない自信でいい!

自信過剰なあまり、傲慢になってはいけないけれど、自分が今やっていることが好きで楽しいなと思えるのなら、自信を持ってやり続けたらいいと思います。

極端な話ですが、たとえばトランペットの演奏をすることが大好きで、楽しくて続けている人に向かって、
「お前は、モーリス・アンドレのようにはなれないから、辞めてしまえ!」
と言う人はいるでしょうか?(実際にいる、という話は聞いたことがありますが…)

もちろん少しでも自分を高めようとすることは必要ですし、プロ奏者であれば、少しでも一流の仲間入りをしていくことは死活問題でもあると思います。でも、超一流のプレイヤーにならなければ楽器をやってはいけないということはありません。

大人になっても楽器を続けている人の意見を聞いていると、「上手くないかもしれないけど…」という前置きはあったとしても、それまで積み重ねてきたことに少なからず自信を持っていたり、もっとやりたい!という向上心や探究心がある人が多いように思います。きっと、そういった気持ちになれずに、全くもって自信がなかったら、続けていくことは難しいと思います。

たぶん、全く音が出なかった初心者の頃よりできることが増えて、演奏できる音楽の幅を少しずつでも広げていくことができたからこそ、さらにその先に挑戦していこうという気持ちになっているのだと思います。

だからといって、楽器を始めた時から一貫して自信に満ち溢れた人はそう多くはないはずです。きっと、たまに不安を感じたりしながらも、楽しさを忘れられずに、少しずつ経験を積み重ねていくことで自信をつけていったのだと思います。

このように、たとえ根拠がない自信でも、積み重ねていけば本当の自信につながるし、それが自分の可能性を広げていくものになります。

「好き」
「楽しい」
「面白い」

そんな、ちょっとした動機でいいんです。理由を述べるのに400字レポートを課されるわけでもありませんし、自分がやってみたいという思いが少しでもあれば、やってみる。そして、誰が何と言おうと、自分が楽しいと思うことをやればいいんです。

・好きなことがあること
・やりたいと思うものがあること
・(結果は関係なく)行動に移せること

これだけでも、自信の根拠としては十分な条件です。

毎日、自分という存在を生きている

迷いながら、悩みながらでも、ただ自分を生きているだけで、自分に自信を持っていいのだと思います。

 

おわりに

指導者のダメ出しは、生徒の自信を削ぐ方にはたらくことが多いです。かといって、ただ褒め殺しにするのも、不安や不信をもたらすこともあります。でも、できるようになるまで付き合い、できたことを認められたら、その子は自信を持つようになる気がします。自信はとことん向き合うことで育てられるのかもしれません。

少なくとも、教育や指導に携わる大人は、子どもたちのちょっとした挑戦や冒険をあたたかく見守れる存在でありたいものです。

 

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自信は根拠がなくていい!” への1件のコメント

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