音楽活動は、究極の「アクティブ・ラーニング」?!

最近、教育業界ではしきりに「アクティブ・ラーニング」「協働(協同)学習」という言葉が使われるようになってきました。しかし、「どんな学びがアクティブ・ラーニングなのか」「協働学習でどのような力を身につけるのか」という本質的な部分をしっかり考えることなく、ただ「この形でやればよい」という授業形態の模倣で終わってしまっては、本来これらの言葉が目指すところを見失いかねません。

今日は、「アクティブ・ラーニング」や「協働学習」について今考えていることと、部活や音楽活動の視点から感じていることをつぶやいていこうと思います。

 

そもそも「アクティブ・ラーニング」って何?

アクティブ・ラーニングについて、文部科学省が発表している資料では次のように書かれています。

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2.学習活動の示し方や「アクティブ・ラーニング」の意義等

  • 次期改訂の視点は、子供たちが「何を知っているか」だけではなく、「知っていることを使ってどのように社会・世界と関わり、よりよい人生を送るか」ということであり、知識・技能、思考力・判断力・表現力等、学びに向かう力や人間性など情意・態度等に関わるものの全てを、いかに総合的に育んでいくかということである。

「アクティブ・ラーニング」の意義

  • 思考力・判断力・表現力等は、学習の中で、思考・判断・表現が発揮される主体的・協働的な問題発見・解決の場面を経験することによって磨かれていく。身に付けた個別の知識や技能も、そうした学習経験の中で活用することにより定着し、既存の知識や技能と関連付けられ体系化されながら身に付いていき、ひいては生涯にわたり活用できるような物事の深い理解や方法の熟達に至ることが期待される。
  • また、こうした学びを推進するエンジンとなるのは、子供の学びに向かう力であり、これを引き出すためには、実社会や実生活に関連した課題などを通じて動機付けを行い、子供たちの学びへの興味と努力し続ける意志を喚起する必要がある。
  • このように、次期改訂が目指す育成すべき資質・能力を育むためには、学びの量とともに、質や深まりが重要であり、子供たちが「どのように学ぶか」についても光を当てる必要があるとの認識のもと、「課題の発見・解決に向けた主体的・協働的な学び(いわゆる「アクティブ・ラーニング」)」について、これまでの議論等も踏まえつつ検討を重ねてきた。
  • 昨年11月の諮問以降、学習指導要領等の改訂に関する議論において、こうした指導方法を焦点の一つとすることについては、注意すべき点も指摘されてきた。つまり、育成すべき資質・能力を総合的に育むという意義を踏まえた積極的な取組の重要性が指摘される一方で、指導法を一定の型にはめ、教育の質の改善のための取組が、狭い意味での授業の方法や技術の改善に終始するのではないかといった懸念などである。我が国の教育界は極めて真摯に教育技術の改善を模索する教員の意欲や姿勢に支えられていることは確かであるものの、これらの工夫や改善が、ともすると本来の目的を見失い、特定の学習や指導の「型」に拘泥する事態を招きかねないのではないかとの指摘を踏まえての危惧と考えられる。

中教審 教育課程企画特別部会「論点整理」、文部科学省HPより)

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ざっくりまとめてみると、

「アクティブ・ラーニング」とは、
  子どもが「やりたい!」と思って、
  共通の目的意識を持った仲間たちと一緒に
  身につけた知識や技能を使って
  目の前にある問題を解決すべく試行錯誤する中で、
  生涯に渡って使える思考力・判断力・表現力を
  磨いていくことができる学習

と言うことができるかもしれません。

このように考えてみると、「これって昔から大事なことなんじゃないの?」と思ったりもします。

私が担当している教科は理科ですので、まさに『実験を軸とした授業づくり』というのはアクティブ・ラーニング以外の何物でもありませんし、もう何十年前から取り組まれていることで、「何を今更」と思ったりもします。

ただ確かに、受験を意識した授業進度を保つためには、こうしたアクティブ・ラーニングにじっくりと取り組むことができなくて、一方的な知識や技能の教授に終わってしまうことも現実問題としてはあります。

2020年から大学入試が変わると言われていますが、だからといって思考力・判断力・表現力を発揮するために必要な知識や技能の『量』はさほど変わらないようにも思います。それらをinputするにはそれなりの時間がかかりますし、それを使うことで定着させる時間も必要となると、すぐに文科省が目指しているような姿には変わらないのではないかとも思います。

だからといって現場が動かなければ、何も状況が変わることはありません。少しずつでも「一方的な指導」から「子どもたち同士が学び合える学習」を意識していく必要はあると思います。

でも決してそれは新しいことをやらなければいけないというものでもありません。上に書いたように、理科の実験授業はすでにアクティブ・ラーニングの先駆けだと言えるでしょうし、他の教科でもアクティブ・ラーニング的な要素はこれまでも取り組まれてきています。

もちろん、音楽の授業や部活動でも同じようなことが言えると思います。むしろ、アクティブ・ラーニングで身につけたい力を養うことがとてもしやすい教科・活動なのではないかと思います。

 

音楽活動は、究極の「アクティブ・ラーニング」?!

吹奏楽、オーケストラ、合唱。いずれも「この曲をこんな風に奏でたい」「演奏会を成功させたい」という共通の目的のために、たくさんの人が同じ時間を過ごす中で、全体の中での自分の役割を考えて、力を出し合うことで繋がりを感じることができるものだと思います。

まず演奏面。オーケストラや合唱による演奏は、様々な種類の楽器から成り立っており、大勢の人間が集まって一つの音楽を奏でるという特徴があります。特にオーケストラでは、管楽器や打楽器は一人の奏者が一つのパートを受け持つため、誰かが欠けてしまうと全体の流れが止まってしまうこともあります。弦楽器や合唱も複数で一つのパートを受け持ってはいますが、複数の音が重なってはじめて豊かな響きが生まれることもあり、一人ひとりが自分の役割を意識しながら演奏することが大切です。

このように集団で一つの演奏をつくりあげていくには、自分が与えられた音符を責任持って音に変えると同時に、周りの仲間がどのような音を奏で、どのように演奏したいかを聴き合い、その場その場の感覚を大切にしながらハーモニーをつくっていく必要があります。

その中では、時には自分が前に出たり、時には相手を引き立てるように支えたりと、様々な駆け引きが求められます。演奏中は言葉で会話することはできませんから、当然これらの駆け引きは音や視線、体の動きなどによって行われます。これは一人ひとりが技術を持った上で、「互いにつくりあげよう」という意識がないとできることではありません。

次に運営面ですが、運営面でもそれぞれ役割を分担して、指揮者やソリストの依頼、会場の確保、予算の立案と集金、広報活動、練習日程の決定と伝達などを行う必要があります。メンバー一人ひとりまで情報が行き渡るようにすることや、各団体の希望や都合を汲み取って運営するのは結構難しかったりするものです。

少しでも状況を良くするためには、運営にできるだけすべてのメンバーが関わるようにしたり、メンバーが互いを知り合えるように定期的に集まり、考えていることを互いに出し合ってできるだけそれぞれの意見を大切にすることも必要です。恐らく一人が仕切って運営することの方が手っ取り早い面はあるかと思いますが、試行錯誤しながら、様々な視点で物事を考えることで、自分では気づけなかったところに様々気づけることもあり、結果的にプラスになることはたくさんあります。

このように見ていくと、今「アクティブ・ラーニング」で求められていることは、従来から部活動の中では普通に行われていたことだということができるかと思います。私は決して部活だけにその要素を託すべきだとは思わないですし、教科指導や学級活動にもこれらの要素がどんどん盛り込まれていく必要があると思いますが、部活も立派なアクティブ・ラーニングの場であり、子どもたちのとっては大切な場所の一つであることに変わりはないのではないかとも思います。

教科の学習はもちろん大切だし、教科の学習も従来のように一方的な教授をするのではなく、学習者自身が他者と交わる中で気づいたり、発見したり、考えたりするように工夫すれば、協働的な体験はできるかもしれない。でもやっぱり、みんなで音楽や何かをつくっていく経験も大切なことだと思います。

 

必要なのは、「対話」のある空間

ちまたではよく「若者のコミュニケーション能力は低下している」と言われています。確かに自分も年々コミュニケーションが苦手という生徒が増えているように感じています。しかし「コミュニケーション能力が低下している」ということを証明する科学的なデータは存在しません。

考えてみると、ここ十数年で子どもたちが使うことのできるコミュニケーションツールは増えたし、ディスカッションや英会話など、コミュニケーション能力を高めようとするような授業も多くなっており、決して能力自体が低下しているわけでもないように思います。しかし、少子化や核家族化によってコミュニティが小さくなり、最低限のコミュニケーションも減ってきている現状では、わざわざ頑張って他者と関わろうという意欲もわかないだろうし、ましてや価値観の異なる人たちと意見をすり合わせていこうという発想にはなかなかならないのかもしれません。

音楽は「伝えたい」という思いがなければ、積極的に奏でることができないものです。つい部活の指導をしていると、楽器の奏法など「伝えるための技術」に目が行きがちになってしまうこともありますが、そうではなくて、子どもたち一人ひとりが「(音楽を通して)伝えたい」と思えるような工夫をできることが本当に大事なことなのだと思います。

子どもたちが社会に出ていった時、学んだ知識をそのまま誰かに伝達するという機会は少ないと思います。むしろ、自分とは異なる考えを持つ相手と対話することで、現代社会にあふれている複雑な問題を解決していくためのアイディアを探していく機会の方が多いのではないかと思います。そのように考えると、もちろん知識や技能の伝達をすることは大切ですが、「すぐに答えが出なくても、あきらめずに問いかけたり、考えたり、話し合ったりする」という習慣を積み重ねていくことは非常に重要なことです。

そのためにも、「伝わらない(かもしれない)」ということを恐れず、「伝わった」時の喜びを感じられて、子どもたちが心から「伝えたい」という思いを掻き立てられるような経験ができるような指導法を考えられたらなと今思っているところです。そして、部員同士で対話を重ねてイメージを共有し、「みんなでつくりあげた」と思えるような演奏ができる集団に育てるのが今の自分の夢です。

そしてその対話や共通の経験の中で、「自分が自分であること」と響き合い、自分という存在に自信を持ちながら、同時に他者を尊重し、違いを認め合えるようになっていけたらいいのではないかと。一人では生きていけない世の中だからこそ、他者と対話しながら共生していく道を歩いていくことが求められている気がします。

子どもたち同士はもちろんのこと、私たち教師や大人も、子どもたち一人ひとりと対話することを大事にすることで、未来を担う一人ひとりの成長を支えていくことが必要なのだと思います。

 

おわりに

できもしない理想論を並べるのはバカバカしいと言う人もいます。確かに口だけになって、行動がまったく伴わなかったら残念なこと。ただ、できもしないかもしれない理想を掲げて、少しでもそれに近づこうと一歩ずつ進んでいけたら、理想は実現可能な目標に変わります。理想はやる気を引き出すものです。

本当にやってみたいことがあったとしたら、どんなに今の自分からかけ離れていることでも口に出してみること。「有言実行」とは「言ったことは成し遂げなければいけない」という戒めではなく、「言ったことで自分のやる気を行動に変えることができる」という自分を奮い立たせる言葉なのかもしれません。

 

「やらせる」ことに重きを置いて、生徒に課題を山積みに課してしまうと、生徒自身が必要なものを選びとったり、じっくり考える時間を奪って、ただ課題をこなすだけになってしまって、本来その課題が持つ意味さえ失われてしまうこともあります。与えることだけに満足していては、成長はありません。

確かに適切な課題を出して、それを乗り越えることで成長を促すことは重要なことです。自主性を重んじると言って何もしないのは、責任放棄と同じことです。「できるまで(手取り足取り)教える」でもなく、「できるまで(諦めずに生徒を信じて)見守る」ことができたらなのだと思います。

やる気は、自分の意思が自由に表現できる環境があってこそONになるもの。何でも禁止したり、何でも制限したり、自分が頑張っても変えることができない状況の中では、積極的に何かに取り組もうという気力はなくなります。やる気スイッチは押されるものではなく、自然に押されるものなのだと思います。

社会では結果を出すことをすぐに求める風潮が強いような気もします。学校でも同じです。それも大切。でも、結果を出すことと同じくらい、それに向かうための過程を大事にして思考することや体験することを積み重ねていけたら、自分が何がしたいか、その為に何をするかが見えて、やる気も出るものです。

これまで積み重ねてきた知識や技能が助けてくれることもあります。でもそれと同じくらい、他者との関わりや実践的な経験を通して体感的に得た力も、自分自身を助けてくれることが沢山あります。目先の利益のために小手先で何とかするのではなく、考えるきっかけに気づける指導を心がけたいものです。

まずは、大人が目の前の結果に踊らされることなく、目の前にいる子どもたち一人ひとりが10年後、20年後、どんな社会の中で、どんな風に自分らしく生きることができるかということを考えて、今の自分にできることを一つずつやっていけたらと思います。

 

 

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音楽活動は、究極の「アクティブ・ラーニング」?!” への1件のコメント

  1. ピンバック: 「これからの部活動の在り方」を考える。 | とあるラッパ吹きのつぶやき

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